2009年12月30日水曜日

2009年を振り返る・テクノロジー編

大晦日を前にして今年一年を人並みに振り返ってみたい気になっています。
ただ、いろんなことがそれなりにあった気がするので、まずは軽い感じでテクノロジー編と題して、自分の周りを変えたネットやガジェットの話から。
1月から、というよりは2月3月の春休みくらいから思い出すことにします。

まあでも極々個人的な話です。
ガジェット的にいろいろ今年手にいれたのは、デジタル一眼レフNikon D90、プロジェクターBenQMP512,Leica M7など。まだ使ってないけどじいさんからソニーのminiDVビデオカメラなんかももらったりして。

一番使ったのはD90かな。モロッコ・ポルトガル行く前に買って、重かったけどたくさん写真撮れるってことは緊張感は薄れるけど、楽しいということがわかった。最近はフィルムも撮りたい願望強くなってきてるけど。D90にして良かったことのひとつは動画が撮れること。Y-PAC.TVの半分位はこの一眼レフで撮ってる映像だし。鳥村鋼一さんもこのカメラ見てEOS 5D Mk.2買った(?)みたいだし。建築を伝達する手段として建築写真家が動画機能付きカメラを手にしたことの意義は大きいと思う。ほんとに期待。
僕も動画へのハードルが下がった。何しろボタン一発だからね。被写界深度やフォーカスにまだ難はあるというものの。

ネットで一番今年の個人的トピックはもちろん'Twitter'。
藤村龍至さんがブログと並行で使い出して、なんとなくやってみようかなと思って始めたのが多分7月頃。Twitter社会論によると日本でのブレイクより一月ほど早い段階で始めた。
12月30日現在で4760ツイート。シンポジウムの実況などもしてないのに約六ヶ月でこのペースはおそらく結構早い。完全にハマっているw
このツールはかなり僕にあっている気がする。いつごろまでツイッターが有効かはわからないけど、当面はまだみんな使っているし、面白いと思える限りは使い続けたいと思う。
ツイッターの面白いところは、リアル(ネット外での現実世界)との親和性が高いところだと思う。
オンラインしてる状態だけでも、ツイッターのリアルタイム性からすると、タイムラインで起こっているある話題に絡んで行くためには、その時間そのTL(場所は関係ないとこがミソ)にいなくてはならない、ということで擬似的にではなくて実際に同期してなければならない。
それが他人と「いま、ここ」を共有しているかのような連帯感をもつことができる仕組みであるし、時にホットな話題を見逃さず、歴史の証人になれているかのような高揚感さえうむことがある。
TLを見ている場所は個々人全く違う場所なれど、同じ話題や、どこでどんなことが起きているか空気感のようなものを感じ取る、そういうことが思いがけない一体感を生み出す。

そして今まではブログなどあるていどコメントなどでインタラクティブ性が確保されているネットインフラがあったとしても、あくまでその「向こう側」だった人たちとツイッターを通して直接挨拶ぬきでコミュニケートできることもとても意義がある。

と、まあ僕が寝ぼけた頭で考えた生半可なtwitter論をこれ以上書いてもしょうがないので、僕がtwitterから受けた恩恵について考える。

それはtwitterというネットサービスを通してそれまで知らなかった人に直接アプローチして会いにいくことができるということだ。
建築系ラジオのこたつ問題カルチベートトークのときも、間接的にtwitterが役立ったし、それを通して東工大の石川さん(@siskw)と知り合い、先日は石川さん主催の建築クラスタオフ会にて様々な学生や社会人の方々と直接お話することができ、非常にいい経験になった。ぜひ今後もいろいろな点で実務をやられている方々と接点をもちつづけたいと思った。
自分から会いに行った人ではやはり名古屋工業大学の北川啓介先生や、Y-PAC radio vol.9で登場してもらった名古屋の建築学生のみなさんとの出会いというのが非常に大きい。
名古屋という自分の地元ながら建築・デザイン界隈ではまったくのアウェイという場所において仲間やコーチを見つけることができたのはとてもうれしいし、これで僕の行動範囲も大きく広がった。なにより初対面であってもいろんな地方の人間を巻き込むことはできるのだという実感を得たことは今後の自信にもなる。

来年はどのようにtwitterがつかっていけるのかまた模索してみたい。僕らY-PACで言えばお互いそれぞれ進路がバラバラになり、一つの校舎にいない状況になるので、そのときどう有効なインフラとして使えるのかが鍵となるだろう。
そんなわけで一応戦略的につぶやきまくっているtwitterが僕的今年のweb topicの一位。

一番いいたいことを書き忘れていた。
今までと違って、ネットの先にリアルが見える、リアルでのつながりをネットが補強してくれる。つまりネット世界に閉じこもるためのネットツールではなくて、どうやったらより世の中をおもしろくすることができるか、というふうに僕自身がインターネット/デジタルツールというものを使うことができるようになってきた、というのが一番大きく、重要なことだ。
だからtwitterやgoogleなどのツールを見てそれに生活が侵食されることを恐れるだけの消極的な態度はツマラナイと思う。僕は僕でリアルの世界にしかいないのだ。
使えるモノはどんどんつかって、リアルな世界をもっと楽しくしよう。

twitterと並行して使ってるのがtumblr.。
これに関してはブログからのリンクも消してしまったし、完全に趣味というかアタマの沸いたツールとして日々画像や動画をため込んでいるが、少しだけマジメに考えるならば、twitterのように言語に頼らないコミュニケーションとして、tumblr.というものがどう使えるのか?ということを考えるキッカケになっていたりはする。まあでもとりあえずはただ楽しいからやっている。

あとY-PAC radio やY-PAC .TVでpodcastやYouTubeも積極的に使うようになった。次はustreamも使ってみたいところ。

では、明日か明後日書けたらこれ以外の2009年の総括について考えてみたいと思います。

2009年12月23日水曜日

radio一気に二発



Y-PAC radioを立て続けに二発世に送り出しました〜!
一つ目は僕がこの前名古屋でとって来た「Y-PAC radio vol.9ナゴヤ行動主義Night!!」です。
ほとんどtwitterを通して知り合ったメンバーばかり6人の建築学生に集まってもらい、金山の居酒屋にて収録しました。
メンバーは小泉@yoichikoizumi(横国)と、写真上左から鈴木淳平君@jumpei_suzuki(名工大)、山田桃子さん@rintaro113(椙山/Ureca!)、平岡なつきさん@natssuk(名大)、磯谷ダイキ君@daiki_ISOTANI(大同大)、松田孝平君@kohei_matsuda(大同大/FLAT)の6人。全員4年生です。卒制前に直前で招集してこの奇跡の集まり!w
そもそもどういう顛末で集まってもらったのかというと、まずtwitter上でやりとりがあったのは鈴木君、山田さん、松田くんで、平岡さんは鈴木君に、磯谷君は松田君にそれぞれ連れてこられたというわけです。松田君だけは唯一ArchiTV08で会ったことがあって(でもしゃべってない)、山田さんともユーレカの他の二人とはこの前の帰名のときに知り合っていたけど、山田さんはそのときいなくてtwi経由。だからほとんど全員初対面。ナゴヤ学生同士も面識なかったみたいです。
鈴木君は一年交換留学でスペインに行っていたそうだし、平岡さんや大学の先輩達と実施の物件などを着々と進めているそう。山田さんはユーレカの創業者のひとりだし、松田君はFLAT代表で磯谷君も一緒にNDWの実行委員に関わっていたそうです。
(驚いたのは磯谷君は滋賀の実家から名古屋南部の大学まで通っている、ということ!w)
「ナゴヤ」という地名だけでなく、「地方で行動すること」というテーマで話しています。
地方で建築をやること、東京など大都市で建築を学んでいて将来は地元へ帰ることなどについて考えている人たちにぜひ聞いていただきたいなと思います。


まあどんな感じだったかはラジオを聞いてみてください☆

とにかくみなさまお忙しい中集まってくれて本当にありがとうございました。ここでのつながりが何か次なる渦になっていったら本当に嬉しいし楽しいね。名古屋を巻き込むことができたか?!


そしてvol.10は「Y-PAC radio vol.10 アキバで語るY-PACの未来」
僕は出てません。村上(@sho_murakami)と石塚(@naotoishizuka)が二人でねとすたシリアス公開収録の帰りに秋葉原でとったらしいです。
二回続けて居酒屋音源でもうしわけないのですが、内容はどちらも一般化して聞くことのできるものになっているのでは、と思いますので是非御一聴を。
vol.10は僕らの卒業を控えて有耶無耶になっているY-PACの将来について二人が無駄に熱く語っています。そんな自己完結的な話題ではありますが、同じように建築学生団体をやっている全国の学生のみなさんに聞いていただければ。

まだリンクページ修正してないのでとりあえず上のリンクから各話をクリックしてお聞きください。Podcastだと、「Y-PAC」までiTMSで検索してもらえれば出てくるはずです。そちらも是非。
よろしく!

2009年12月11日金曜日

リ・サーチ


ワタリウム美術館で行われた対話実験第11回、藤村龍至氏×Mike Ableson氏「リ・サーチ」。
司会・モデレートは藤原徹平氏。

僕は個人的に藤原さんのお誘いを受けてほぼ毎回ビデオ係りとして参加させて
いただいでいます。対談後の館内での軽い打ち上げにも参加させていただいていてとても有意義かつ役得です。まあ終電後もアツイ話は続くので帰れなくなることは多々ありますが。

では今日の感想を超ザックリと。適当な感じになってしまったら申し訳ありません。

実はというか、何気に僕は藤村さんのレクチャーを聞くのはもう3回目くらいです。藤村さんの「批判的工学主義」や「超線型設計プロセス」についても10+1 48号に掲載されたころから拝読しているので、自分の中でもある程度は考えてきたかなと思います。
藤村さんの主張はいくつかの「共感され具合」のフェーズがあって、まあそういった半ば
テンプレ化した反論がしょっちゅうある(毎日のようにw)のもわかります、というか最近自分でもなにかやる度に周囲の反応がテンプレ化しているので「藤村さんの言っていたことはこれか」的な感じですw

で、ここからは超訳感想です。
マイクさんはポスタルコというブランドでデザイナーとして活動されていますが、その解剖学的、工学的発想が非常に面白くそれがとても刺激的でした。製品をたくさん見せてくれながらのプレゼンもとてもよかった。
chance printerというダンボール製の箱の中にペンキがついたゴルフボールを落として、それが中の棒に跳ね返ってランダムなドットをプリントするというプロジェクトはまさに「偶然性を誘発するようなアーキテクチャを設計」しており、それは大量生産品でありながら(低コスト)、デザインはみな違う、というある意味で批判的工学主義とも響きあう部分があったのではないでしょうか。
あとは魚の顎は実はとてもメカニカルに出来ているということを模型製作を通して発見している、というところも面白かったです。
そういえばマイクさんのデザインの落としどころに「オモシロさ」っていうのがあったのですが、それは個人的にとても共感しました。(過去ログ:オモシロカッコイイ
ただ僕はなんでオモシロいことがいいのかまだうまく言語化できないのでそこにはジャンプがありますね。

藤村さんのプレゼンを見ていて思ったのは、「これは不利だなあ」ということです。そもそもプロセス論自体が、BIGのビャルケのようにあえてアイコン的に説明もできないし、なんとなく共感できそうな身体的な感覚の話でもないので説明というか難しい言い回しが多くなってしまう。「空間のハナシせえよ」とツッコミも毎度入るわけで。
僕は超線型プロセスはその建築とか都市にかかわるステークホルダーズを如何にハブらないで巻き込んで制作(政策)プロセスを透明化しよーか、という話だと思っているのでそういう展開になってしまうのは仕方ないのかもしれません。ていうかできた空間の良し悪しって竣工写真とかから感じるほかないのだから、それって写真家の腕にかかってる気もするんですよね。優秀な写真家の方々と知りあってみてよくわかったけど。まあ良い空間というのはあるんですけど、それを写真だけで判断してわかった気になっちゃうのは(で、わかってないとdisる)、早計であるとしか言いようがない。みんなが体験できるわけではない以上、このハナシは共有しづらい。

あと不利な点といえば、「巻き込み、盛り上げる」論なのにBUILDING Kという建物を例にしてしまうとプログラム的に要求されていたものが公共施設ではないためにその巻き込んで議論した結果が外からみている我々にとってはわかりづらいというとこですかね。
だけど「近隣説明会で模型見せて、西側住民の意見を取り入れて階高が下がった」って、みんな「それだけじゃん」て言うけど、隣に住んでる人にとっては自分の意見が採用されて日照が(法的にだけじゃなく)遮られないようになったなんて、楽しいし、ただの隣のビルなのにそれだけで愛せる気がしないか?
建築学生が雑誌見て盛り上がってないだけで、街は盛り上がってるかもよ?
なので僕はいつか藤村さんが市民館とか駅とかツーツーなものを作ってくれるのを待ってます。僕らもプロセスに参加し、公開されいつでも訪れることができるような。
でもプロセスのハナシがいろんな人にわかってもらえれば意外と早いかもしれないっすね。市民館を求めてる町の人たちから見たら「この人はわしらの話を聞いてくれそうじゃ」って感じで。

なので今回の僕的ハイライトは藤村さんがいつものように「建築と似ているのは政治(Politics)ですねー」と言ったら、マイクさんもすかさず「僕もそう思うよ!」と合意した瞬間ですね。いわゆるプロダクトデザイナーと呼ばれる人も建築という仕事に対してそういう大勢を取り込む広がりや奥ゆきを感じてくれている。それって幸せじゃないですか。建築を悲観する必要ないと思いますよ、全然。

フジムラ派とかプロセス派とかそういうのはどーでもいいなーと思いますが、そうじゃなくて僕が藤村さんをフォローしているのは「諸君、共に歴史をつくろう!」というノリゆえにであって、僕も僕なりのやり方で歴史を変革していく流れに参加したいし、もっと巻き込み盛り上げたい。
それこそDive & Moshで。


終わった後のカフェでの打ち上げは席が遠くておふたりと話せなかったけど、こんな感じのことを考えました。
藤村さん、マイクさん、関係者皆様、おつかれさまでした。ありがとうございました。

トークイベント終了後。人大杉wいつもこんなにいないけどみんな誘ったらなんかいつもいない人がすでにいっぱいいたという罠。


2009年12月5日土曜日

センスのない横浜と、アタマのわるい鎌倉

僕が寿町のヨコハマホステルヴィレッジを通して知り合ったアナーキーママのタケさんと中ムラサトコさんと一緒にY-PAC radioを収録させてもらいました。


ま詳しくはY-PAC weblogのほうも見てもらえれば。

横文字書くとタケさんに怒られちゃうけどw、書を読み、街へ出て本当にクリエイティブな活動をしているアナーキーママたちと語る都市論は、普段ろくに建築外の人と議論をしない建築学生にも、建築とは関係なく街に暮らす一般の方にもきっと興味深い内容になっていると思います。

まだ粗削りだけど、本当にクリエイティブなことというのはこういう瞬間のことを言うんだぜ。

2009年11月29日日曜日

ホームレス・ホーム



風邪なう。
いや実際はほとんど治りかけで、「この大事な時期にみんなにうつしちゃいけないから!」を理由にただ引きこもっているだけである。かといって高尚な本など読んだりしないのが(できない)のが俺。家で何もしていない。未読の本が溜まる一方。
ま、いつか読みます。
この間、全学年強制参加での学内設計イベント、20時間設計なるものがあった。
最初は24時間設計だったのだけど、水曜12時からやると1、2年生の他の授業があるので16時開始に変わったのだった。だから20時間。締まらないがまあいい。
仕掛け人はT井さんとF原さんという噂。

課題は「ホームレス・ホーム」
この言葉から考えられるものならどんな設計案でもおkであるという課題であった。
まず自分で考え始めても良かったんだが、せっかくのデザスタ以外での学科上げての祭りなのだから、イッシーなど最初に4年を誘い、どうせならと1・2・3年生も誘って全部で20人弱を集めてのブレストを16時半くらいからやることにした。思いつきで咄嗟に始めたことだが人数も集まったし、何より盛り上がりを演出できたのでよかったと思う。3・4年生ばかりしゃべってしまったが、最後のほう名指しで発言を促せばみんなしゃべってくれたのでそれなりにいろいろな視点からの考えが出た。別にひとつの設計案に向かって意見を言い合う場ではないので、それぞれが自分の思考を外に出すことで一旦整理することができればいいのだ。このブレストが最終的なプレゼンボードに影響してるかなんて僕らには知る由もないし、これは単なるプロセスのひとつに過ぎない。
さてブレストをやったはいいが、なかなか案が出てこなかった。前期課題のときに考えた寿町のドヤ街を発展させたスケールで、複数の人間のためのホームレスホームを考えようとしたのだが、そううまくいかない。しまいにはキューブ状に切ったスタイロを積み上げてみたりするスタディなど始める始末(これだと全然形が決まっていかない)。いろいろ悩んだりしたものの、わりと概念的な話をする人も多い中、一周回って「ホームレスのための家」というド正面のような180度逆のような話を考えた。

前期に考えていた寿では、住民の多くはドヤ住まいなため、基本的にはホームレスという分類になる(wikipediaを見れば超大富豪のハワード・ヒューズの例なども出てくる)。だからドヤというのはある意味で既に「ホームレス・ホーム」を設計しているとも言える。
今回僕は、貧しいがゆえにホームレスとなった人というよりは選択的に家を持たない流浪の民というような人種のことを想定して、彼らが集うよりしろの様なものを考えた。
シェルターとしての家を考えると、それは突き詰めればツェルトやシュラフやダンボールのようなものでもまあなんとかなるので、HOMEとは何かというと、それはやはり個が孤でありながらも集合することなのではないかと。普段の関心ごとに戻れて安心した。
なので外壁はなく、ただグリッド状に壁がたくさんあって仕切られているだけの家の模型を作った。21世紀的ノマドが集まる家。彼らを無理矢理押さえ込むために切り妻の屋根をかぶせてみた。ただの記号である。
このホームレスホームという言葉自体がそもそも矛盾している気がするので、そういう矛盾している感じも皮肉なしで入れれればと思ったがそれはどうだか。
最終的に12時締め切りの1時間ほど前には提出できたので、まあ余裕を持ってできたと思う。
当日のtwitterハッシュタグは#YNU_No1で、みんなのそのときのリアルなつぶやきが残っている(笑)

夜から朝にかけて体調がすこぶる悪かったが、提出時はそれなりに回復した。(その後悪くなり帰って寝た)

各階に張り出された各学年の案をざっくり見ると、やっぱりそれなりに傾向があるような気がした。ツイッターでも書いたけど。

1年生は原風景の旅的というか、自分の原体験に基づいたもの。身の回りにある概念とか。あと手書きと製図室がないというハンデ(家との往復の時間がかかる)もあったので、本質的な部分を読み解くにはまたちゃんと見なくてはいけないと思う。
2年生はアーキファニチャーをやったばかりというのもあってか、持ち運べる大きさというかモバイルアーキテクチャー的なものがいくつかあった。朝6時くらいに見に行ったとき、仲のよい後輩らは、難しいこと考えすぎで全然できてなかった。大二病である。
3年生はあまり傾向というほどの傾向が分からなかった。自然の中につくったりする森ガール系が何人かいたかな。
4年生は卒制で考えてることをそのまま持ってきてる人が結構いた。当たり前だが。せっかく祭りなのだから卒制の調査部分をテーマをすりかえて載せるのではなくて、新しいモノを考えたほうが楽しいのにと思ったが別にそれは個人の自由である。課題の影響としてはBoys'Cityや一万平米という規模のデカイもの、若者を対象としたものなどがいくつかあった。僕も含めて。
YGSA(主にM2)の人はさすがの出来。傾向というかYGだなって思ったのは敷地が都市にまたがるようなスケールを考えている人が結構いた。バシさんの一回紙をクシャクシャにしてその皺からドローイングを始める手法は面白かった。それに貼り付けてある一応の説明書きみたいなのがいいんだよね。

という感じでしょうか。実質あの後学校に行ってないので(行かなすぎだろ)、もっかいちゃんと見てみたいと思います。
先生たちの採点はイツつくのか。順次先生が各々来て点をつけてくみたいですけどね。
僕のもなんかしらで評価されたらいいな。
祭りのシメとして学年またいだ後日談をY-PACradioで録ってもいいかもね。

では風邪も治ったと思うので明日からまた卒制をやろうと思います。引きこもり終わり。

2009年11月9日月曜日

R.I.P.

火曜日に名古屋から帰ってきてほんの数日後の土曜日、高校陸上部の友達から突然[訃報連絡]と書かれたメールが来た。

僕たちの一個上の学年のK先輩が亡くなったという。
明るく、その学年の盛り上げ役だった先輩で、高校卒業後はパン職人の道を進んでいた。

そんな先輩のことを思い出すと突然訃報といわれても何のことやら見当もつかず、とりあえず友人らに確認するが、誰も詳細はわからないらしい。東京にいる同期(といっても2人しかいない)と連絡を取って、とにかくその日のお通夜に駆けつけることにした。
親が何かあったときのためにと送っておいてくれた新しい黒いネクタイをこんなタイミングで使うことになるとは思いもしなかった。

新幹線で名古屋へ行き、家で一息ついてから少し早めに半田の葬儀場に向かった。
ついたときは同期は一人だけで、そのあと三々五々みんな集まってきた。
現場についても分かったのはただ「自ら命を絶った」ということだけだった。
どこで、どうしてかも分からない。
お焼香をしても「先輩何やってんすか」という言葉しか浮かんでこなかった。

K先輩と仲のよかった先輩たちも、僕の同期の友人たちも、みんな何が起きているかわかってないような悲しくもなく、楽しくもないような顔をしていた。
リアリティを構成するためのプロセスも、ディテールも全部抜け落ちていた。
唯一リアルだったのは先輩の棺の中の顔だけだった。

そういえばK先輩に最後にあったのはおととしの夏に陸上部の友達と野間の海で遊んだときだったかもしれない。その後新年の走り初めとかでも会っているかな?
だけど、もう会えないなんて。未だに信じられない。

---------------------------
実はこの記事をかくのにもう何週間も手がとまったままだ。
お通夜が終わったあとみんなでファミレスに行って、誰一人突然の出来事に対応できずにただ他愛もない話をして、そのあと3人で不二家でパフェを食べて、小学校からの友人とフィリピンパブに行って飲んだ。
なんだろう。よくわからない。

今までほとんどしゃべったことはないが、実は僕の人生観にはある人間の死がかなり強く影響している。その出来事をきっかけに人生について考え始めるようになった。

そして今また親しい先輩が若くして亡くなってしまった。
何が原因だったのかはわからないし、ずっと思い悩んでいたのかどうかもわからない。
だけれども、25歳にして自らの未来を閉ざしてしまうような世の中なんて。

---------------------------
そして今日(正確には20日の夜8時ごろ)、椙山の子からメールで、建築系ラジオメンバーで、大同工大の山田幸司先生の訃報を聞いた。
理不尽なくらい突然だ。
「こたつ問題」カルチベートトークのときに一度お会いしていて、この間のNDWのときは会いたかったが会えなかった。これから先もY-PACと建築系ラジオなどでいろいろ接点があるのだろう、そのときはちゃんと議論してみたいなと思っていた。それなのに、だ。
今回もたぶんしばらく実感がないのだろう。
そして建築系ラジオで山田さんのいない回が何回も続いてやっと実感できるのかもしれない。

ただの形式的な言葉にすぎないけれど、K先輩も、山田さんも、どうぞ安らかにお眠りください。


K先輩のお通夜では、先輩と同じ代の人たちがみんな高校時代から好きだったXの曲が鳴り響いていた。それは、なぜか、リアルだった。




2009年11月6日金曜日

Kitalab/Ureca!

ちょっと間が開いてしまった。
この間いろいろあったので思い出しながら、散文的にパラパラと短めにつづりたいと思います。

10月中旬に名古屋に帰ったときの話の続き。
まず名古屋工業大学の北川啓介先生の研究室を訪問しました。
と言っても何か自分の研究や特別な用事があったわけでもなく、名古屋建築界隈で面白そうな人に会いに行きたいと思いtwitterを介して北川先生にアプローチさせていただいた次第です。
北川先生や研究室の多彩な活動についてはwebや「1995年以後」のインタビューをご覧になっていただくとして、僕が感じたことをいくつか。

北川先生は「1995年以後」のなかの写真でも奇天烈な眼鏡をしてたり、コスプレしてたりと、(これはあとで聞いたけど)名古屋建築界では変わった人として有名だったようですが、実際会ってみると、こんなにもポジティブでキレキレで戦略性のある人に久しぶりに会ったと感じました。逆に東京の建築家は戦略性はあってもどこかスカしているというかカッコつけすぎな部分があって、敷居が高い感じがするのですが、先生は敷居は低いのだけどこっちがウッカリしゃべり過ぎていると一字一句試されているような、知的なスリリングさを覚えました。Scrap&Buildも研究室の方々に読んでいただいて直に反応を得ることが出来たのもよかったです。
名古屋や建築に対する問題意識もかなり共通していてとても刺激を受けました。
これからも北川先生たちとは密接につながり続けたいなと思います。
単身乗り込んだにも関わらず暖かく受け入れていただいて感謝。感謝。

その日の夜はまた別の会場(この日は名古屋デザインウィークNDWの最終日)でやっていた椙山女学園大学村上心研究室のダンボール茶室のクロージングパーティにまたしても一人で潜入しました。
これは完全にノーアポかつ、もしかしたら知ってる先生がいるかもというアテも外れ、完全アウェイでした。最初一人でポツンと立っていたのですが、椙山の4年生の女の子二人に話しかけられ、その後すぐに意気投合しました。
彼女たちはUrecaユーレカ!という、Y-PACのような学生団体を主宰していて、フェアトレードファッションショーの会場構成などのデザインを任されたりしているそう。ここでもとても問題意識や価値観がリンクして、とてもよかった。ユーレカとは今後Y-PACとコラボできたらいいねという話をしつつ。
いろいろオモシロい人がいるなあ。
声をかけてきてくれた平手さん、高間さんにはホント感謝。ありがとうございました。

そんな出会いがありつつ、高校の友人@nunmoriと帰り際に会って理系な話をしたりして、名古屋を後にしました。(ちなみにナゼ帰省したかというと、卒制の敷地にしている工場見学と資料集めなどが主な目的だったわけです。)


しかしこの週、再び愛知に戻ってくることになるとは誰が予想しただろうか。

2009年10月20日火曜日

Y-PAC.TV vol.1!!!!!

Y-PAC初の動画企画うpしました!!!!

ONdesign西田司さんと担当スタッフの中川エリカさんにインタビューしています。
これから西田さんの代表作になること間違いなしのヨコハマアパートメントについていろいろお聞きしています。ありがとうございました!


後輩の平田と大沢のおかげで海外のインタビュー動画にもひけを取らない物ができました!!
ほんとありがとう!!
ご意見・ご感想お待ちしております!!!

2009年10月19日月曜日

Nagoya Encounter!!

僕の地元は名古屋のすぐ南隣の東海市というところですが、建築を勉強し始めたのが横浜ということと、中高の友達で東海圏で建築をやっている人というのを寡聞にして知らなかったので、名古屋にデザイン系人脈が全くありませんでした。

将来どこで仕事をするか分かりませんが、そんな損得勘定とは関係なく、リアルなネットワークはどこにでもつくりたいものです。
最近の僕は出待ちや突撃などを常套手段とするほど図々しくなっているため、知り合いがいないならつくってしまおうと、こちらから出かけることにしました。

(つづく、加筆予定)

2009年10月17日土曜日

工学屋的な発想

またまた実家です。ホームシックじゃないよ(笑)

昨日は恒例となりつつあるワタリウム美術館でのトークセッション。
僕はビデラーです。
中山英之さん(建築家)×冨永昌敬さん(映画監督)
前回、冨永さんがインフルダウンしてしまった時のリカバー回です。

内容はいつもながらすげー面白かったんだけど、俺ごときがレポしたところでその感動は1ミリも伝わらないので特には書きません。というかあのイベントはサブタイトルの「今、この場所」じゃないけど、あの時間・あの場所を共有することでしか得られない感動がありますね。一記録者として痛感します。たぶん将来本にもならないし、DVDも出ない(だって俺が撮った映像クオリティだしw)と思うので、語り継がれて伝説みたいになるんじゃないかと思います。
フジワラさんもそれを望んでいるフシがあるww

前回の中山さんレクチャーでも既に思ったけど、中山さんがカワイイスケッチで一本ずつ慎重に線を足していくやり方は相当な覚悟が要るなと思いました。書き方しだいでスケールを横断するんです、なんて遊びのように楽しく説明してたけど、そうやってあらかじめ自分の脳を自分で揺さぶってから一個ずつ血が出るような思いで積み上げてくプロセス。
今までないような「本当に新しい建築をつくる」という覚悟はスゴイなと思う。それは石上純也さんにも同じ空気を感じる。巌窟の中で、いつか俺は王になるんだ、と思い続けるような伊東事務所での日々が中山さんのような建築家を鍛造したのかと。妹島事務所で鍛えられた石上さんも同じか。
あの表層の可愛さがなかったら厳しすぎて受け入れられないかもしれない。
血でスケッチが描いてあったら怖過ぎる。

で、その原子をぶつけて新しい物質を生み出すようなやり方は俺にはできんなーと少し前から思っていた。
覚悟がないというのももちろんあるが、感覚としてちょっと違うというか。
人によっては、建築家はそれを追及しなきゃダメなんだよ、というかもしれないのだけどもしそうなら俺は建築家にはなれないと思うくらいの影を落としていた。

どちらかというと冨永さんがトーク後の席で言っていたスタンスに共感した。
できるだけロケセットを作り直さないようにアリモノでつくる。
40分ワンカット長まわしで、実は画面内の石の影に監督が隠れていて指示を出し続ける、オンタイムで編集をし続ける撮り方。
映画には編集という行為がすでに存在している。
・・・などホントはもっともっとあったが語りつくせない。しかしそういうモノの作り方というか。
さっきの喩えなら分子と分子を組み合わせてそれがどう使えるか試し続ける行為といえるかも。

そこらへんが説明できるような言葉を今読んでいる本で見つけたので朝5時に書いているわけですw
はー、前置きが長い。。

エリーカ開発者の慶応大・清水浩教授の『脱「ひとり勝ち」文明論』という本。やさしめです。

『理学と工学の差は、ぼくの感触でいうと、「新しいもの」があったときに、
「なぜ?」
と考えるのが理学屋さんです。
「これ、何に使うの?」
と考えるのが工学屋さん。
ぼくは工学屋の典型例みたいなものです。
「なぜ?」にはあまり興味がなくて、「これ、何に使うの?」に、非常に興味がありました。』

という一節に、ああ、と思いました。
おれは工学屋的な考え方が好きなんだな、と。

原理を突き詰めていく「建築家」(それはアトリエ派と言われているのかもしれないが)がいるなら、アリモノを組み合わせて新しいモノが見てみたいと思う工学屋的な建築家がいてもいいんじゃないか。
そう考えれば、ああおれも建築目指しててもいいのかなと思えてきました。
工学屋的思考をぶっちぎっていくといわゆる「ゼネコン」になるのかもしれないけど、そこを振り切らないように未来を見据えてモノをつくるのが建築家なのかなと。

やっぱ「批判的工学主義」になっちゃうのかな~(苦笑)

まあよくわからない内容かと思いますが、誰も読んでないと思うんで(笑)
長いブログですいませんでした。

2009年10月14日水曜日

Scrap & Build Launch!!!!


フリーペーパー「Scrap & Build vol.1」が完成しました!!
このフリペに関しては新しくブログ作ったのでそっちに情報を載せていきます。
印刷ミス(?)で最後読みにくい部分があるんですが、どうぞよろしくお願いします。
今のところ手配りしかしていないので、どこか置かせてくれるところを探しています。
学校の図書館にも置いてみたい。
ほう、見てやろう。という方はご連絡くださればどこへでも送付させていただきます。

---------------------------------------------------------------------
ArchiTV2009に行きました。
参加しました、ではなくただ行って徹夜しました(笑)
それでもフリーペーパーを配ったり、シンポジウムを聞いたり、他大の学生に絡んでみたり、Y-PAC radioを録音してみたりしました。
そこで収録したラジオはコチラ↓

Y-PAC radio vol.6 「ArchiTVという場の可能性について」

ちゃんとArchiTV 会場で収録していますが、テーマは2年後のArchiTVについてです。
特に地方の学生の方!是非聞いてレスポンスください。もちろん横国の人たちも!!
--------------------------------------------------------------------
今日13日は象の鼻カフェで行われた「畠山直哉さん×南後由和さん トークイベント」を聞きに行って来ました。
ひとりで行ったけど、告知がマイナーだったためかあんまり混んでなかったよ。。
ただ内容は超濃かったです。建築夜楽校よりもしかすると難しい単語が(社会学、哲学の)飛び交っていたんじゃないでしょうか。
テーマは畠山さんの写真集「scales」と「スペクタクル」というキーワードを巡るもので、写真家と社会学者なのに完全に建築と都市の話でした。
もっと本読まねばーーーと思わされる知的なイベントでした。
やはり畠山さんは猛烈にいろんなことを考えた上で写真を撮っている人でした。カッコいいっす。

いつも煽られても質問できなかったりするので、今日は頑張って質問してみたりしました。まあ大した質問ではなかったけど…

トーク後、畠山さん、南後さんにScrap & Buildを渡してしまいました(笑)恥を省みず、去年書いたY-PAC journal vol.1なんぞももらってもらいまして、恐縮かつ図々しいなと。。

ヤバイ、最近会いたいと思っていた人にどんどん会えてる。
outputすればするほどinputが増える。
僕らがフリペのタイトルにこめたのは、旧い自分をscrapして新しい自分をbuildする、ということだったのかもしれない。

やっぱり人と直接会って話しをする以上にオモシロいメディアはない。

2009年10月10日土曜日

建築夜楽校2009第二夜・感想

建築夜楽校、第二夜も聞いて参りました。

「プロセスとローカリティの関係について考える」
モデレーター:藤村龍至、濱野智史、パネリスト:五十嵐淳、家成俊勝、井手健一郎、古谷誠章、鈴木謙介(敬称略)

第二夜の議論は北海道・大阪・福岡という地方(東京以外)で活躍する建築家を呼んで、地域の固有性という「ローカルであること」ということを越えたローカリティとプロセスについて話が進みました。

議事ログは前回と同様、@siskw氏が実況をしてくれたものが#yagakkouに残っているのでそちらをトレースしてもらうとして、ここでは僕個人が考えたこと、共感したことを書きたいと思います。
というか今回はまとめるのが難しいです。話を咀嚼するのがまず時間がかかる。

ローカリティとは何か?ということは今になっても嚥下できていないし自分で考えることもできていないので、(こんなワードは出なかったけど)僕が今結果的に思った「建築家の職能」という点に絞って考えてみたいと思います。

今回非常に、rhythmdesignの井手さんのおっしゃっていたことに共感しました。井手さんの提示する「翻訳者的建築家像」という概念は、建築家の能力の一つとして重要で、なおかつ建築設計以外のいろいろな場所で求められる力のあり方を示しているのではないかと思いました。
井手さんの場合「バリ島風の木造バンガローをつくってほしい」と言われたが、最終的には施主がどんな思いを「バリ風」という言葉に込めていたのかということを汲み取って、それを一般的な言葉や建築言語に翻訳して、本当に施主が求めているものをシンプルな形にして建築として具現化する、というある意味コンサルタント的な建築家のあり方です。その翻訳者として実際どのようにするかというときに、面的設計プロセスというものをとっている。

よく出てきたキーワードにファシリテーターという言葉がありましたが、この利害調整者としての能力も建築家のもっている重要な能力なのだと思います。いろんな人がワーワー勝手なことをそれぞれの方言で言っていることを、優先順位をつけながら整理し、翻訳することで話を進めていく。それ自体もプロセスですが、建築家は設計プロセス(それが建物なら建築、政策なら政治)を開示することができるというツールも持っている。
そのステークホルダーを巻き込んだプロセスのなかに「突破口」を持ち込むことができることができればより面白い、というのが濱野さんの言葉だったのではないかと思います。
家成さんも井手さんもそれぞれdesign eastとdesigningというイベントでファシリテータ能力をふるっているので、そういった面からの話も聞ければよかったとは思いましたが、そういうオーガナイザーズミーティングはまたどこかの機会に開かれるでしょう。

古谷さんのおっしゃっていた「庭師」的建築家像というのも面白いなと思いました。
つまり、建物を設計して終わりではなくて、ある年限を決めて「じゃあ50年くらいつきあいますか」といってメンテナーとして、またソフト設計者としても関わり続けるというあり方です。非常に根気がいるとは思いますが、そういったこともBIMによって切断がズルズルと先延ばしになれば起こってくるでしょう。もしかしたらヒルサイドテラスでの槇文彦さんのようなあり方になるのかもしれませんが。でもまあそうなれたら街にとっても幸せなことですね。

いずれにしても僕は今後建築家の社会的必要性が増えると信じています。
もう少し正確にいうなら「建築的思考力を持ち、突破口としてのデザイン能力を持った人材」の要請ということです。ますます複雑になり、ムラの村長のような絶対的権力者がいなくなった現在、ステークホルダーが皆win-winの関係になるような合意形成をするときに、建築家的な人材が必要になるだろうと妄想しています。

論としてもあまりまとまっていないですが、今回2夜の夜学校を通してこんなことを考えました。
最後にこのような建築界のカッティングエッジをモデレートして、見せていただいた藤村さん、濱野さん本当におつかれさまでした。ありがとうございます。
そしてこのような流れを僕らの世代でどのようにより大きなものにできるのか考えさせられたシリーズでした。



2009年10月6日火曜日

卒制のために・その一


なんかブロガーの投稿インターフェースがちょっと変わってるよ。マイチェンか?
卒業設計エスキスがはじまりましたー。
僕はK山先生の班です。
今日来たのは5人で(あと2人いるハズ)、少人数でK山さんと対話しながらどんなことやりたいか考えるのは非常に勉強になってよいです。
今日は最初ということで、「どこで・なにを」程度でしたが、自分でもやもや考えてるより先生に「そんな感じでいけ」と言われると一歩前進した気になりますな。
僕は、横浜の大岡川はやめて(友達とかぶったてのもあるし)、超地元の愛知県東海市の工場地帯の再構築をやろうとしました。
上のGooglemapで左側に見えている埋め立て地です。
東海市は鉄鋼の街で、壮大な工業ランドスケープが海側に広がってるわけですが一般人は全然海の近くまで行けないんですよね〜。
そういうところの一部を使って、重工業地帯とエネルギーと観光と、研究教育なんかまで一緒くたにした何か面白いことを考えようかなと。
アイデンティティのない郊外の街だけど、僕にとっては原風景だし、打ち捨てられたブラウンフィールドになる前に新しいモデルを描けたらいいなと思います。

来週末あたり実家に帰って工場見学などしてきたいと思ってます。
ではでは。

2009年10月2日金曜日

建築夜楽校2009第一夜・感想

今年も建築夜楽校に行ってきました。今年のテーマは「データ・プロセス・ローカリティ」で今日は第一夜「データとプロセスの関係を考える」。モデレータ藤村龍至、濱野智史、パネリスト難波和彦、小嶋一浩、山梨知彦、中山英之、江渡浩一郎(敬称略)

レビューというよりは僕の感想、考えたことを少し、忘れないうちに。

今回の議論はこの前のカルティベートトークと同じく、@siskwさんによるtwitter実況が行われました。同じ場で話を生で聞き、後でTLを見ると重層的に理解できて面白いです。

昨年に引き続き登壇した日建設計の山梨知彦さんはBIM(Building Information Modeling?)を使った設計を紹介。話はBIMをひとつの中心として展開しました。おそらくチーム山梨が使っているのはArchiCADではないかと思うのですが、使ってみてわかるけれど、そんなにサクサク設計できるわけじゃない。だから小嶋さんの言っていた「BIMを車に例えると、山梨さんは天才ラリードライバー。操るために天才的な勘が必要。」ということは非常に納得。山梨さんだからこその生産量なのだと思います。

BIMのようなデジタル設計ツールが進化すると、建築家はいらなくなるのでは?という問いが冒頭に濱野さんから、後半にmosaki田中さんから出ていました。誰でも自分の家は自分で好きなように設計できるようになるでしょ、と。でも、これは今日の結論でもあったと思うけれど、僕は建築家はなくならないと思います。
なぜなら、BIMを立ち上げる以前の「問題」を設定するのは建築家でないとできないと思うからです。中山さんであれば「クローバーに着目するところ」であるし、藤村さんであれば超線形設計プロセスにおけるあの最初の「クリアすべき条件の表を作成するところ」であり、その仕事は建築家でなくてはできないことだと思うのです。
僕らが学校で学ぶべきなのはこの「問題を捉え、どのように解決するか」という建築的思考力を鍛えるということだと考えています。だから、東大でのIAESでも話題に上がった、学生へのコンピュータ設計教育はあまり重要ではないと思うし、逆に山本理顕さんが常日頃言っている地域社会圏というのは、最初のパラメータをどこに見るかという話なのではないかと思います。
確かに、自分の家の問題ならば自分が良く分かるかもしれませんが、そこに他の人が使用者として入ってくると、また別の問題系が出てくるでしょう。ではそれを考えるのは誰か?と逆説的に考えるとそれはやっぱり建築家なのではないかなと思います。

だから藤村龍至さんの最も作家性(というか個性?)が発揮されるのはあの表(なんかキャッチーな名前はないのですか?)を作る段階にあるのであって、たくさんのスタディ模型を並べるところではないのだと思います。ビジュアル的には模型のほうがキャッチーではありますが。
超線形設計プロセスではないにしろ、クリアすべき条件の表というのはおそらくどんなカタチにせよ設計の最初にはみんなが設定するもので、実はその表は建築的思考力を鍛えた人々でないとつくれないのだと思います。その表を作った結果、考えることが多くなっちゃって、最大最速の効率を得る(つまり社会にその建築を具現化する)ためにBIMを選んだのが山梨さんで、色鉛筆を選んだのが中山さんなのだ、と思いました。

そのほか、パフュームとバグルス、初音ミクの例えなど面白い話がいろいろありましたが、今日自分のまとめとしてこんなことを書いておきたいなと思いました。

また来週、第二夜にも期待です。

2009年9月27日日曜日

文をかくこと

今、友人と出す予定のフリーペーパーに載せる文章を書こうとしている。
書いている、ではないのは自分の筆が遅々として進まないからだ。

ただ単に怠けている部分もあるが、なにか将来が決まってないせいか、どこか気分が晴れないでいる。

というのはやっぱり言い訳か。

気合入れて逃げないで書け。俺。

夢をどんなに語ろうがそんなものは誰にも伝わらないのだ。
文章に、図面に、ポートフォリオに書け。人に伝えようとしたいなら。

2009年9月20日日曜日

input and input

この数日撮った写真をまた並べたいです。
最近はデータ的にも経験的にもinputすることの方が多いです。
ほんとはフォリオ作ったり、コンペやってみたりというようなoutputも必要なんだけどね。
やっぱ将来決まってないことの焦りはアルネー(笑)

中山英之さん。思想が超Punk(笑)
目黒クラスカ
Tokyo Tower
へうげものコラボ十作
おなじみヨコハマアパートメント。三回目。ひとつの新築物件にこんなに通うのは初。
野毛山公園?なんかいい感じにうらぶれてて景色もただの住宅地しか見えないんだけど、開けてきもちいい。なんかトルコとかポルトガルの公園思い出した。
立ち入り禁止の展望台。
野毛・三陽。雑い空間がいい。
JINS Harajuku。内装を槻橋さんがやったらしい。
人が浮いてる・・・!恐ろしい子。
谷尻誠さんver.のDiesel Aoyama。上のギャラリーかと思ったら下の店舗の内装インスタだった。谷尻さんの造形はSFっぽくて好き。これもよかった。

上のギャラリーはティモシー・サセンティ。これもSFっぽい。
案内の女の子が超カワイイ(笑)
青山方面から歩いて乃木坂に出るとこにあるトンネル(確か)。よく考えると変。
Mastiffs vs法政戦。すごい夕焼け。

どんなにInputが多くても、Outputがなけりゃ他人に伝えることはできないし、認められない。認められなきゃ成功もできない。
秋風が吹いて肌寒くなってくると、ちょっと不安とセンチメンタルな気持ちになるよね。
みなさんがんばりましょう。

2009年9月11日金曜日

建築×Youtube

実はtumblrも最近始めたのですが、公開するのがなんとなく気恥ずかしいのでbloggerでtumblr的に使ってみます。
建築とメディアというとちょっと大袈裟すぎる話の展開になってしまいそうな気がするんですが、結構単純に考えて、建築家が自分の考えを伝えるのにYoutubeとか動画コンテンツサービスを利用すればいいのになと思います。
ちょっとバカっぽいと思われるかもしれませんが。

Bjarke先生が新しく二つの動画をupしたみたいです。
8 houseの動画のハイテクさとは一転して、フリップ芸のようなアナログさです。

Zigzag tower

Bawadi

(埋め込みできないのでリンクで)
ARっぽい謎の技術が使われています。こんなプレゼンできたら超カッコいいですけどね(笑)

ついったーにも書いたけど、インターネットが水道とか電気とかの旧来のインフラと違って、かつ重要なところは、流れてくるモノ(情報)を受け取るだけじゃなくて、ユーザー側から出力することもできる、という点だと思うんですよね。
だから僕らは曲がりなりにもクリエイター(知的生産者)を目指すのであればネットから情報を受けるだけじゃなくて、発信するトレーニングも積まなくては、と思う訳です。別に先生たちはそんなこと教えてくれるわけじゃないので正しいかどうかはわからない全くの自論ですけどね。
プレゼンをYoutube向けに作る、というのは簡単に思いつきそうですけど寡聞にしてあんまり聞かないですね。別にビャルケだけではないのだろうけれど、作品とかCGの動画はたくさんありますが、建築家が自分で喋るというのはあまりないものです。
ということは建築におけるこの分野はまだ先駆けれる余地があるってことなんじゃないですかね?

最後に藤村さんのブログをちょっと「quote」させていただきます。

福島の佐藤さんに限らず、大阪の柳原君や家成さん、広島の谷尻さんや福岡の井手君など、状況を変えるべく行動している同世代の建築家には本当に刺激を受けます。メディアそのものがどんどん縮小していくなかで、本当に批評的で刺激的な状況は自分たちの手でつくる以外にない、という認識は、今では当たり前のこととして共有されていますね。

他方で、「自分たちの手でつくること」そのものには何の意味もないことを忘れてはいけない。問題は刺激的な状況に自分たちが包まれ、「刺激を得られる」かどうかであり、そしてそれを外部に「届けられる」かどうか。


というわけで明日インタビュー頑張ります。

心配だ、、段取り悪いからなー、俺(笑)


2009年9月9日水曜日

Look back in the photos

最近文字ばっかりのエントリが多かったので写真をたくさんぶっ込みます。かなり前のもあるけど時系列順です。



さてこれはだれの作品でしょうか・・・?
実家に帰りクラウン運転しました。@魚太郎
今回やっと見つけられたエビスアートラボ@名古屋長者町
寂れた繊維問屋街にワカモノの力を注入する好例。8000円の本買っちゃった(笑)
おっパブ先生と次期レンズ先生

蓬莱橋

@ワタリウム
火をつけて食うチョコ@YCC opening party
関内外オープン@本町ビルシゴカイ
クリエイティブシティ国際会議
Mastiffs vs Griffins

2009年9月6日日曜日

クリエイティブシティ?

横浜クリエイティブシティ国際会議2009というシンポジウムがこの3日間開かれていて、有料でしたがいくつか聴講したりパーティに参加したりしました。
それについてまとめるほどキチンと聞いていたわけではないので、そういうことはできませんがいくつか覚書のように書き散らしたいと思います。
twitterだとタイムラインがいっぱいになってしまいそうなので(笑)

・クリエイティブシティは浸透していない
今日の分科会3-2で最後に聴講者のひとりだった山本理顕さんが言っていたけれども、横浜市が提唱し、扇動しようとしているクリエイティブシティ(創造都市戦略)という概念は、市やプランナーの間では盛り上がっているけれども、一般市民にはそんなに広まっていない。その証拠に今日のシンポジウムはわざわざ海外からもゲストが来て重要な場だったのに、聴講者が6割程度という残念な状況だった。
僕が感じた原因は、宣伝不足(国大学部生は僕だけだったし)と有料(2000円を銀行振り込み)という面倒くささが人が来ない一因だったように思う。もちろん、クリエイティブシティという考えが市民の関心を集めていないというのが大きいとも思う。

・非クリエイティブクラスはどうしたらいいのか
創造都市、という考えは都市ブランディングとしてはとても良いと思うが、一方でクリエイティブじゃない人たちにとっての横浜はどういう都市なのか、というのがわからない。一部の「クリエイター(笑)」がつくるアートとかをただ消費するお客さんとして、馬鹿みたいにアートイベントとかにお金を落としに行けばいいのだろうか。どっかの政党じゃないが、一方で市民の生活を考える役所の人がいて、他方でクリエイティブシティとか言ってるようでは浸透しないのも当然な気がする。

・マスタープランナーがいない
これは今日の分科会でも話になっていたこと。ケースさんいわく、「ロンドンではロジャースで、フランスではサルコジが5人のマスターアーキテクトを選定した」という強い都市デザインに対するリーダーシップがあるという。横浜では誰か。市長か?都市デザイン室か?北沢猛なのか?日本の行政の仕組みと談合文化ではそんな人がいるわけないのは明白だ。ではみんなで民主的に50年くらい考えるのがよいのか。短絡的に考えれば北山恒か山本理顕をマスターアーキテクトに選定するのがよいのでは。もしくは市長になるか(投票しますよ笑)。そうしたら横浜市なんかすぐに日本の中で飛びぬけた存在になれるのに。(横国建築学生的思考ですが)
残念ながらそのへんのセンスとかは次の市長には僕は全く期待していない。

・創造界隈について
馬車道駅前の本町ビルシゴカイはオンデザインや小泉アトリエなど建築家の事務所も多く、雰囲気もとても良いと思うが、旧いビルをそのまま使っているのでいろいろがボロい。というのも、そういうスタジオが集積する(横浜市的にも)貴重な場所がせっかく存在するのだから、市はそういうところに資金を投下して、家賃を全部負担するとか、トイレをキレイにするとか、電気容量を増やすとかのサポートをすべきでは、と思ったりする。クリエイターはそんなことは気にしないのだろうか?
僕にとってはトイレとかがキレイなことは重要。北仲BRICKでも思った。旧いビルの中に最新鋭のインフラ、というのが好きなのです。

あと横浜には現代美術系のギャラリーがない。僕が知らないだけかもしれないが、有名なギャラリーは東京のしかも清澄白河とか白金台とか行きにくいところばかりにある気がする。BankARTとかが一人気を吐く状態になっていてはアート界のひとつの中心としては認識されないと思う。とりあえずナンヅカアンダーグラウンドが馬車道あたりに来てくれるとかなりアツい。
クリエイティブシティとか言う割りに桜木町のグラフィティを全消しするとはセンス無さすぎだと個人的には思う。

・Y-GSAは都市へ帰れ
一刻も早くYGは常盤台から関内へ戻るべきだ。院生にとっても、横浜市にとっても、学部生にとっても(学棟がせまなる笑)よくない。YGみたいに客観的に見てもすごい教授陣がいる学校など他にないのに、資金がないとは泣ける。国立なんだから国が助成すべきでは。
伊勢佐木町の旧松坂屋の1・2階に入るとか。黄金町とかダメなの?
Y-GSAは都市の中にあるから意味があるのだと思う。


とにかく思いつくままに適当に書いてみた。
では僕はどう野から攻めていくかは脳ミソの反対側で考え中。卒制だけでなくなんらかのアクションを起こしたい。

2009年8月30日日曜日

1/1について・その2

もはや何を言いたいのか分からなくなってきたけど、続きを考えてみたいと思います。

アーキTVという場で1/1をつくることについて。
1/1をつくることはやってる本人たちと、当日会場に来て、それに触れた人たちにとっては意味のあるものだと思うんで、まあ否定はしないんですが、それがアーキTVでやっちゃうことに関しては多少疑問があります。アーキTVというのはたぶん地方の情報に飢えている大学生から見たら、東京(中央)の学生主導イベントで何が提示されるのか、ということはかなり注目されていると思うんですよね。
だから、アーキTVはウェブサイトやブログだけじゃなくて、もっといろんなメディア(それこそニコ生とかケーブルテレビとか呼んで放送すべき)を使って全国に発信してほしいと個人的には思います。
ではそこで、1/1の何かを作ってみて、果たして来なかった人にその意義がどれくらい伝わるのかなあと。

銀座に野点のスペースを作ったりすることは結構面白いと思います。一般の人の目にも触れるし。ですが、一般の人に見てもらうからこそ、表層の議論に陥りやすいのかとも思います。例えばディテールが汚い、とか柱が曲がってる、とか座り心地が悪い、とか。
そういうことは実際建築では非常に大事なことではあるけど、全国にばら撒いてく議論の種としてはちょっと違うかなあと思います。

もしそういった議論だけに終始してしまうと非常にもったいないですね。アーキTVというメディアとしては。

あと去年のアーキTVに参加して、いろいろ思ったけど、重要な成果だったのは新世代の学生グループをたくさん集めたおかげで、新しいつながりが生まれかけた、ということだったと思います。
でもそのつながりが継続されているのはごく一部だったりしてもったいないなと。できればアーキTV主催者側の人たちでそういった集まりを継続的にもってくれたりしたらよかったのかなと思います。まあそこは自分たちで勝手にやりますけど。

2009年というゼロ年代の終わりにふさわしい総括的なアーキTVになってほしいです。行って是非参加してみたいと思います。ていうかY-PACも呼んで下さい(笑)

なんかアーキTVへの注文みたいになってしまいました。。
スケールに関しての考察はまだまだ継続して考えたいと思います。
ひとまずここまで。

2009年8月23日日曜日

スケール1/1について思うことresponse to ishizuka

石塚のblogで1/1スケールについて書かれているのでそれについて僕として考えること。今年のアーキTVのテーマが「1/1」を扱うらしいということと、今twitterや建築系ラジオで「こたつ問題」というものが話題になってることからも結構旬な話かと思います。
まずは石塚のblogを読んでみてください。

eureka
スケール1/1について思うこと
その2 

最初に僕の立ち位置から。
まず僕は今年のアーキTVの実行委員ではないし、企画内容も伝え聞いただけで深くは知りません。なのでアーキTVそのものに対する批判はしません。
僕の通う横国という大学では昔から春の大学祭で仮設建築を学生が設計施工して作る、という伝統があって、僕ら(石塚含む)の班はその選定コンペ(4年の授業でもある)で負けて、別の同期の案が実現されました。だから僕らは施工の手伝いだったし、僕に至っては施工もあまり手伝わず当日のプログラムのことをずっと考えていました。
こたつに関しては妻有を見てないのでラジオを聞いただけです。
というのが僕のポジション。

前置きが長くなったけど以下は短く。
おおむね僕も石塚の意見に同調していて、学生がワークショップやって仮設とかパヴィリオンみたいなものをつくることを目的として「大変だけど、楽しかったー」っていう感想だけを持ち帰ってしまうとあんまり面白くないと思います。それだと参加してない東京以外の全国ほとんどの学生が全く蚊帳の外で、拡がっていくことがないからです。アーキTVのようなある種コンセプチュアルな場所ではそれはやらないほうがいい。それこそtwitterで同時中継して、全国からバンバン議論が起こるような話題に転換していかないともったいない。

そうは言っても、1/1をつくることはつくった人たちにとってはすごく勉強になるから、建築学生だったら一度は経験したほうが良いとは思う。そうしたら安易に「地面掘ります」とか「水平ださなくてもなんとかなります」とか言わなくなるから。現実世界で物質を扱うことがどういうことかを分からないままだと、VectorとPhotoshopだけでサクサクとそれっぽいパースを描いた人たちがもてはやされて、実現したときに悲しいことになったりする。もちろん見たこともないものをつくるということは既知の経験から出て行かなくてはならないのだろうけど、それでも物理法則はなくならない。

この話は思想地図会議で磯崎新さんが言っていた問題にも近いと思う。つまり「身体的な実感のないままに現場にモノに変換できないような図面ばかり増えていく」という話です。これ自体はフィジカルとメタフィジカルの話だったので、直接は関係ないかもしれませんが、何か似たような背景がある気がします。

そういうことを踏まえたうえで、僕が1/1に期待するのは、そのモノをつくって、さらにその先どうしたいのか?というところです。最近僕が思うのは、建築をつくることは目的ではなく手段である、ということです。その先にどんなことを実現したいのか。例えば世界(地域)をもっとよくしたいとか、異分野の人と人がぶつかりあう場を作りたいとか。これらは抽象的で曖昧な話ではあるけれど、建築をつくる先にもっと大きな目的があるはずです。極論すれば、それが実現できるなら「建築」という手段じゃなくてもいいとさえ思います。どちらかといえば建築はお金と時間がかかりすぎるので、最後の手段です。

まわりを見てもそういう目標が透けて見えるひとが少ないので違和感を感じます。こんなこと言うのは青臭い中二病なのかもしれませんが。



結局長くなったので続く。もうちょっとまとめます。

2009年8月14日金曜日

my vision

twitterはすっかり中毒になってしまった。「去年の夏から数回やった」どころじゃねーな。
今日は(昨日?)は遅刻したが二回目の即日設計練習。前回よりはちっとはましになったけど、まだ時間が足りてない。
パースがかけない。絵が下手。あと一回くらいやれたらいいなあ。
初めて学科の勉強もしてみた。遅すぎ。ヤバいヤバい。

今までYGにはあまり行く気が無いだの来年は働くだの、ふざけたようなことばかり言ってきたが、今年の冬、つまり来年の秋入学を目指して留学にトライしてみようと考え直した。
実務をやらないと寸法などの設計の基礎が身に付かないとか思っていたが、そういうことは逆に実務を始めればすぐに身につけなければいけないことで、必ずしも自分のレベルを引き上げてくれるものでもない。もちろん実務の世界に飛び込むことで得られるものは学校に行くよりも何倍も多いとは思うけれど。
しかしそんな一年やそこら雇ってくれる事務所もないだろうし、それならばかなりしっかりしたポートフォリオも必要になる。(もちろん留学にも必要だが)
なにしろ建築業界は今そんな余裕はない。

なによりも「院に落ちたら日本なんかいないで海外行く」と半ば思いつきで言う人になんか負けたくない、というのが大きい。
それは友達に言われようが、自分もそれだけ軽く考えているようで悔しい。
いや、実はその言葉によって自分のスタンスがブレていることに気がついた、という方が正しいのかもしれない。
海外に行きたいのか、働きたいのか、Y-GSAに行きたいのか。
迷っているから一歩一歩が鈍い。気が重い。

とにかく数日後に迫ってしまった院試は受けるし最大限やる。
それが終わったら、留学に向けて頑張ろう。
レベルが足りない、というなら誰かに上げてもらうことを期待するのではなく、自分で無理矢理引き上げるしかない。
海外で通用するレベルにならなくては。

2009年8月10日月曜日

good movies



ウォッカのCMらしい。こういうのはとても良い。
tumbrとかでよく使われる「via」ってどう使うの?自分的には「元ネタはここのページから取って来ましたよ」って解釈ですが。だいたいあってる?
だとすると
via http://ukadapta.blogspot.com/

あと最近テレビでやってるフリスクのCMもいいよね。

最初IBMとかHPのコマーシャルだと思った。製品そのものの宣伝というより広告というメディアを通していい作品をつくるって言うか、世界観を出すというか。

ex.MCMの上田剛士のAA=(えーえーいこーる)



あとMouse on the keysのフルアルバムが出ておりましたよ。超カッコいい。


早く印紙終われ~~~

2009年8月4日火曜日

構造も材質も

院試に対するモチベが上がらないまま、とりあえずフォリオだけは作ろうと思って3年後期の課題を設計し直している。まだまだ全然出来ていないのでなんとも言えないが、当時素材も構造も棚に上げて考えていたものを、ある程度現実味のある図面に直して行く作業は楽しい。

現実に出来そうに見えることもリアリティということに対する一つの解だと思う。僕の案は港の見える丘公園の下のガケから住居が突き出ているものだけれど、それに対してあり得そうな構造や構法を与えて行く。手元にある住宅特集やJAなんかのできるだけ詳細が載っている図面とにらめっこしながら真似して書いてみる。なんで今までこういう風に真似して図面を書くということをしてこなかったんだろう。4年になってやっと気づく。

構造とか材質をしっかり図面に表現していくことが空間をつくっていくんだな。


Y-PACのみなさんtwitterやりましょうwww
高校とかマスティフスの友達もやってほしい。mixiみたいになれ合いのいらんコメントとかしなくていいし。(ex.○○ちゃん偉いなーあたしも頑張る!今度飲み行こッッッ 的な)
放りっぱなしのメールみたいなもんですかね。ブログに書くほどでもないことをブツブツとつぶやくのはブログが立体的に(ry
まあ面白いとおもいますよ。
なんかいろんなSNSをまとめて管理できるメタSNSみたいなのないのかな?
自分専用ポータル??それってiGoogleとかでできんのかな?

iPhone 3GSほしいっす。

2009年7月31日金曜日

ついったー/ほったヘルプ/国大橋コンペ

いまさらながらというか唐突にtwitterをはじめてみました。
ここへ来て「ついったー」と「ふぇーすぶっく」と「りんくどいん」という洋モノSNSに参加しだしています。
facebookはガイジンの友達もできたので使えそう。linkedinはビジネス用なので謎。twitterは若干面白いかも。次はnajimiかな。

昨日は堀田のヘルプをしてみました。自分が作った模型が先生にほめられると自分の案じゃないのにうれしいwwwちょっとジワってきたwwwwこれってヘルプ独特の喜び?久しぶりの感覚。
やっぱり院生は神ヘルプですね。原Pさんが手伝い始めてから瞬く間に百壱の模型が出来ていきました。
なにはともあれ無事評価ももらって終われてよかったね。ホッタ。

田井さんチームで参加した国大橋コンペの二次審査とやらが今日ありました。
12案の応募で上位6案のプレゼンと公開審査。
結論から言うと田井さんの案(F案)とY-GSA助手の仲さん・日野さん案(E案)が同列一等ということになりました。田井さんの案はかなり内容盛りまくりの案だったので気合は一番入ってました。唯一模型持込だし。E案は緑のトンネルを橋にかける案で、それが結構評価されてました。
結果的には学長の鶴の一声で2案折衷って感じの双方優秀賞。
まあなんか白黒付かない感じでそれでいいのかって気もするけど。
終わってから「おつかれっした」って言ったら田井さんにスルーされましたけどww

だれるのも終わってフォリオ作り頑張んないとなー。

2009年7月27日月曜日

ナツヤスメナイ

僕にはまだ夏休みはきてません。

ここ五日間くらい、とある設計事務所にてコンペ製作に行ってました。
僕が学校いなくてみんなに心配かけちゃったかな?テヘ(死)
朝だいたい11時くらいから夜11時半までみっつり行ってきたよー
帰ってきたら1時だったよー
銀座まで往復1300円だよー
おとといは宮ちゃんとふたりそろって終電乗り過ごして上大岡からタクシーで帰ってきたよー
5000円だったよー(死)

てわけでつかれた。
案だしから参加するつもりが具体的に考えてなかったためにただの模型バイト状態。無給の。
うーん微妙だった。
そもそもあのコンペは他に参加者がいるんだろうか?出来レースの予感が・・・

そんなことをしてたから、フォリオはおろか院試の勉強も(てかカコモンすら持ってない)、明日のパンキョーの試験勉強もレポートもできてないではないか!!!
やだ!立っちゃう!死亡フラグが勃っちゃう!!

そしてrooftop bar vol.2は時間の関係で中止。残念。でもまあ10月くらいにちゃんと企画してやりたい。



あ、関係ないけど。
せんぱいのmixiで見たんだけど、村野藤吾先生の遺作「谷村美術館」が8月1~16日に特別公開されるらしいですね。てかこれ既に閉館していたらしい。知らんかった。
つまりこれを逃すともういつ見れるかわからんちゅうことですか。。
村野藤吾展か何かでこの美術館の存在を知ったとき、仙人の所業を見たような気がしただけに、一度見ておきたいっすね。誰か行かない?新潟。

2009年7月21日火曜日

課題終了/IAES/next plan

おひさしぶりです。
無事卒制前最後の課題を提出することができました。
まずはヘルプしてくれた遊、チャン乙、なかのみょう、阿部ちゃん、ハクビ氏、の各氏に大感謝。打ち上げみんなで行きましょう。
僕の提案に対する先生方の評価は「悪くないけど、最後で逃げたな。」というところです。
確かに言われていることはよくわかります。写真にもあるように最後形を決めるところで、時間との兼ね合いもあって「普通な」形に逃げてしまいました。というかそれがOKな解だと思ってた。だけど模型が出来上がってみると思ったより新しくなかった。(言うまでもないですが、2年生の二人が作ってくれたクオリティに関してはお世辞抜きに文句なしです。自分の設計の問題です)
再提出ではないですがもう少し設計し直してオモシロくしたいと思います。
まあとにかく、4年生のみなさん、ヘルプしてくれた後輩のみなさん、おつかれさまでした。

全体の講評など聞いていて思ったこと。
キーワードの一つは「リアリティ」。
これは山本先生が繰り返しおっしゃっていたことだけど、今回リアリティということに関して厳しく言われていた人が結構いた。うまく説明することは難しいけどリアリティの有る無しというのは建築の提案(ましてや学生の課題)というフィクションをどうやって具現化していくか、それをどう人に伝達し説得するか、という点に置いてとても重要だと思う。
リアリティという言葉を言い換えると「切実さ」ということになるかもしれないと今ふと思った。ロジックとか表層で遊んでも仕方が無い、という点で。全く的外れかもしれませんが。

さて課題終了後ヒマラヤキッチンでビール一杯で酩酊したら家帰ってバタリと寝て、家中の電気つけっぱなしで起きたら5時半。二度寝しようと思ったけど寝れず、「つばさ」とか観てから髪切って東大へ。
金曜日から3日間東大での国際建築会議の手伝い。
写真撮影とかビデオとか録音が横国の仕事だが、記録用にも関わらず写真を撮りすぎると怒られた。SDカードはなんと2GBと512MBしかなかった。一眼レフのレンズに至っては(ry
昨日の打ち上げもただで腹一杯食えて大満足でしたよ、っと。
まあ東大生なんぞに負けてられっか。ということで。

土日はカプセルホテルに泊まったり朝6時に起きたり連日の8時集合で結構眠かったけれどもなかなかいい勉強になった。
三日目のようす。こんな感じ。
伊東さんの基調講演も含めて、「コンピューターが新しい建築を作ってくんだ」的な話はどうも腑に落ちなくて、むしろ(最近聞き慣れたからかもしれないが)山本さんの言っていたような話の方が重要なんじゃないかと思った。
そして最終日の話題で、建築教育の今後についてだったけれども、写真右から2番目のオディルさんが言っていた「表参道で東京らしい買い物をしようとしたけど、あるのは世界のどこにでもあるブランドばかりだった。東京オリジナルなものは何もなかった。」と言っている話が結構クリティカルで、今後の世界でスタンダードをつくって「ウチの建築教育が良い/悪い」って話を繰り返すんじゃなくて、世界のどこにもない特異点を作り出すしかないんじゃないかと思う。
別の人が言っていた「有名大学に行った時に普通な人しかいなくて、無名大学に行った時思いがけず面白い人に出会う」という状況に自分達がなれるかどうか。
そして僕たちがやるべきことは、あれこれ考えている教育者としての建築家達の教育プランや思惑を如何に越えていくか。ということ。
まだまだ横国の先生達の思惑は越えられてないな。教育に甘えてそれを批判するだけのやつはたいしたことない。


そして次なるプランは山積している。
まずは国大橋コンペ。ちゃんと設計事務所のチームに入ってやる予定。〆切は27日。時間ねぇー。
あとはイッシーとのフリーペーパー。こちらもダッシュでやりたい。
それからRooftop BAR vol.2。7月末に予定。できるかな。いややる。必要。
あとパンキョーのレポートとテストが一個ずつ。
あと一万平米の設計し直し。
あと院試。手つかず。

長くなった。
よし頑張ろう。

2009年7月10日金曜日

らすといっしゅうかん

来週木曜日ついに課題「10000㎡」最終提出です。
昨日はプレ講評ともいえる最後の中間発表。without りけんさん、って感じの。
自分的には手応えはよかった。のであとはガリガリやるだけ。
「作業間に合うか??」って全員の先生に言われたけどwww

図面描き切って、150分の1(1200×900)一個と50分の1(900×600?)一個の模型つくって、ボードに余さず表現して。
っていうふうにやるだけ。
今考えてることを8層ちゃんと積み上げたやつをなにより俺自身が見てみたい。
あと一週間がんばるので後輩のみなさまはヘルプ是非よろしくお願いします。

さてこんな生活ですが、課題終わったら見に行きたい映画とか。



Objectified
プロダクトデザインの映画。オモシロそうだが日本配給は未定。
深沢直人とか日本の風景とか出てますけど配給ないの??
あとこの白いイスって学棟2階とかにあるやつかな?


Beautiful Losers
ストリートアートのドキュメンタリー、、かな。
ゲリラ的オバマアピール作戦で有名になったと言われるシェパード・フェアリーも出てくるみたいすね。

あとは山中俊治さんの「骨」展とか渋谷忠臣の展示「教」とか。
「破」ももっかい観たいし。


イッシーのブログにちょいとレス。
今さっき大和田とミヤちゃんとまさに藤村さんの話とかしてたけど、そもそも学生全般言えると思うけど、みんな基本的に「ベタ」で受け取る。ピュア目な人ほど特に。
学生はすべてを吸収しようと思って情報に接してるから藤村さんの逆説的な説明はそもそも無茶なのかもしれんが、確かにベタで語っても誰も聞かないもんな。
俺も「ジャンプするな・・・」の部分とかはマジで受け取ってて「?」な感じだったし。

しかしながら、またあとでreview書きたいと思うけど、藤村さんの超線形設計プロセスには民主主義2.0的な可能性を感じるのでいいと興味あるのだけど、最終的に出てきたモノ、(つまりは空間ということになるのかもしれないが)それ「も」、作家主義より格好良くてオモシロいもんじゃないと民衆の心はつかめないと思います。
「このプロセスだからこんなにカッコイイんです」じゃないと。

いやだけど
「アスロック素地のファサードとかもネタでダサく作ってるんすよwwベタでとるとかねーよwww」
とか言わないでくださいね、マジで。
社会責任的にそれはいやだわ。

2009年7月6日月曜日

ねとすたシリアス

今週木曜日のプレ講評(?)に向けてチマチマと図面を書いてます。
模型が、、できとらーん!
はたして今週でどれくらいのものを出せるのか不安です。

図面を書きながら僕は大体ニコ動の作業用BGMなんかを聞いてるのですが(ランキングとか漁るのはもう飽きてしまったし)、ずっと音楽聞いてても耳が痛くなるので、こんな動画を観始めました。


ザ・ネットスターというNHK BSの番組があってその番外ネット補足版みたいなもんなんですが(ネットスターに関してはわかる人がわかればいいです)、このガチ議論はアーキテクチャ関連の(思想地図とか藤村龍至系とか)話に興味がある人は見ておいて損はないです。
濱野智史さんが中心でしゃべったりします。



とりあえず第一回前編だけ。
かなり分割されていて全部見ると長いですが。
アーキテクチャ周辺だけじゃなくて、これから日本人はどうしたらいいのかと考えてしまいます。

こういう話は専門的な気がするけど、実際は多くの一般の人が参加していくべき議論だと思います。むずいなーでスルーしてると知らぬうちにとてもヤバい世の中になっていってしまう気がするのです。

2009年6月30日火曜日

エヴァ破/藤村濱野/試写会

日曜、藤村龍至×濱野智史トークイベントの前にイッシーと渋谷シネセゾンにて「エヴァンゲリオン:破」観てきた。
僕自身エヴァは「序」も最近DVDで観たばかりだし、TVシリーズも4年になって全部観た程度(Airとまごころは今レンタル中)のニワカである。(マンガは前から全部持ってるけど)

だけど、この「新劇場版:破」という作品は・・・一種の衝撃だと思った。
庵野自身の手で「Rebuild/再構築」されていく過程を目の前で見せられるのは、何か歴史の転換点に立っているような、これを観ていないと時代の流れに取り残されてしまうような、そんな感覚。
確かに何を書いてもネタバレになってしまいそうだけど、旧世紀版と比べると作品の世界に満ちる絶望も遥かに大きくなっているが、その分最後に訪れる希望も大きなものになっていると信じたい。庵野監督の宣言文にもあるが今この時代に希望を描いてほしいと思う。それはレトリックではなくて。
あれほどの密度がありながら上映時間は108分。2時間ない。
途中冷房で腹が痛くなり5分くらい抜けたのでどっちにせよ課題が終わったらもっかい観よう。
あれはどうにも一回観ただけでは消化できない。






















そのあと遠回りしたけど、青山ブックセンターでやっている思想地図のイベントに行く。
こちらはアーキTVで見たようなメンツがちらほらと、宇野常寛や鈴木謙介などの批評系の人たちの姿が。
これに関しての感想はまた考えがまとまったら書きます。


さて月曜。きのう。






















清陵祭での仮設建築からのご縁で知り合ったプラスヘッズの方々が配給する映画、シング・フォー・ダルフールの試写会を開く。
3時からの開催だったけれど、全然人が集まらず焦る。
明らかに宣伝不足。告知は苦手だ。
だけど苦手なことこそ、得意な人に任せるとか、他の人や人脈のある人に(早めに)頼るべきなのだろう。
この映画が主題とする「自分とは違う世界への無関心」はまさにこの大学でこそ問題なのであって、もっと多くの人に観てもらうように努力すべきだった。「どうせ無理」とはなから諦めていた部分もなきにしもあらず。
自分の怠慢も含め、いろいろ勉強になった。
臺社長、武田さん、どうもありがとうございました。

これで一つ頼まれていたことが終わって肩の荷が下りた感じ。ちょっとつかれた。
次は課題の最終提出と、その次の日からの東大国際シンポジウム。

オモシロそうなところを他人に任せてたら損だ。

2009年6月29日月曜日

シング・フォー・ダルフール試写会開催!!

本日6月29日(月)15:00より、横浜国立大学教育文化ホール大ホールにて映画「シング・フォー・ダルフール」の特別先行試写会を開催いたします。

日本語オフィシャルサイト→http://www.plusheads.com/singfordarfur/

[about Sing for Darfur...]
世界規模のビッグチャリティイベント、「SING FOR DARFUR」が行われるある日のバルセロナ。
祝祭的なムードの中、その一日を、ダルフールとは無関係に生きる人間たちの物語。
人が人に「触れる」事で物語の主人公は入れ替わり、様々な人物の目を通して、その一日は描かれていく。
その日、その街、その時間の彼方には、ダルフールという事実が間違いなくある。
THE CURE、Underworldなど数多くのアーティストから提供された楽曲、愛する国を失った少年の歌声、そしてスタイリッシュなモノクロ映像の79分間に、あなたも触れてください。
SING For DARFUR。それぞれの声で、それぞれの言葉で。


そして「The world of GOLDEN EGGS」のショートストーリーを同時上演します。どのエピソードを上演するかは当日のお楽しみ。大きなスクリーンで、GOLDEN EGGSの世界を楽しみませんか??

できるだけ多くの皆様のご来場をお待ちしております。
ぜひ来てください!!!

2009年6月28日日曜日

明日これ行きます

連投になりますが、明日、ってか今日ですが、思想地図vol.3「アーキテクチャ」絡みのトークイベント「藤村龍至×濱野智史」(カップリングじゃねえよ)に行きます。
http://www.nhk-book.co.jp/books/nhk_books/shisou/info04.html

で、あずまんのブログ巡回してたらこんな質問があったので丸載せします。
(以下東浩紀の渦状言論はてな避難板より引用)

>ぼくは残念ながら、所用で会場に駆けつけられそうにありません。

そこで、藤村さんと濱野くんのふたりに、ぼくから質問を用意することになりました。以下がその質問です。会場で答えてくれるようなので、楽しみにしてください。

1.ふたりへ

先日の思想地図シンポジウムでは(大雑把に要約すれば)磯崎新が、 建築においては物理的限界があるのでどこかで「切断」が必要だ、だからネットの話はあてはまらないと述べていた。その指摘は、濱野・藤村両者のあいだでは どう処理されるのか。藤村=物理派、濱野=ネット派という違いとして反復されるのか、それとも磯崎さんに見えなかった新しい光景がそこに開けているのか。 単なる世代的、時代的連帯ではなく、磯崎さんが納得するような論理を聞きたい。

2.おもに濱野へ

藤村は建築の実践の手がかりとしてアーキテクチャ論 を考えている。濱野はその点はどうか。濱野は自らのアーキテクチャ論をどう「使おう」としているのか。アーキテクチャの分析者になるのか、それとも設計者 になるのか。最近梅田望夫がインタビューで、日本のネットは「残念」で、あまり分析する気がないと言って話題になったが、濱野はそれに対して「でも分析も おもしろいですよ」と答えることになるのか、それとも梅田(象徴としての)を驚かすような設計へと進むのか。実現可能性云々の話ではなく、単純に濱野の意 欲がどこに向かっているのかを聞きたい。

(引用終わり)

2.の質問が興味深いので乗せてみました。
梅田さんのインタビュー記事は僕も最近読んで、梅田さんに期待していた人たちが「梅田おまえもか」状態になったらしいという空気をなんとなく感じました。
僕個人としてはウェブ進化論は古本で買ったけどまだ読んでない(なんとなく旬を逃した気がして・・・)が、梅田望夫の展望は悪くなさそうだと思ってました。ところが日本のネットはやっぱダメだとあきらめた。
じゃあシンクタンク研究員の濱野さんはどうするのかと。
僕は濱野さんとかは考えてるだけじゃなくて設計に関わってくればいいと思う。それはネットのアーキテクチャだけじゃなく。
若い建築家がこの期に及んでも尚、微細な風景の差異ばかりを取り扱っていて、もっとダイナミックなアーキテクチャ論に関わってこないのならば、たくさん考えてる奴が実践に移って来い。
分析で満足ならば、結局はアーキテクチャ論もそれまで。領域横断的な「議論→実践」にはなっていかないのだろう。

さて明日はどんな話が聞けるか楽しみであります。
エヴァ破も見ます。

コラボの可能性

金曜日、国大発フリーペーパーのリリースパーティ、というか完成打ち上げに部外者ながら参加してきた。
K丸さんに誘われてアウェイながらも。

試写会の宣伝(効果なさそー・・・)と7月末予定のルーフトップでのコラボレーター探し。
知り合いがいないところに行くとなかなか話しができなくてもどかしいね。
気取らずぶっこめばいいのかもしれんけど。
それでも何人かと話したけど、こっから次につながっていく何かはあるかなー?
まー素直に酒飲んで楽しんでりゃよかったのかな。

とりあえずもういつもの面子でのメタ議論にも飽きたので、もっと実現+具体化して手ごたえを感じたい。
まあコラボはお互い敬意を持ってないと出来ないし、コイツとなら何かやってみたいと思う/思われないとうまくいかないし、意味ないやね。

なんか文章にならんな、今日。

伊勢佐木の丸亀製麺といううどん屋に行きました。許せる。

2009年6月22日月曜日

ここ数日のはなし

お久しぶりです。
3ヶ月ぶりくらいに家のネットが復旧しました。
ビッグローブに電話したらアッサリ。
同じような認証の作業は何回もした気がするんだけどな。
まあいいや。2万くらい無駄になったけど。。
新規契約しそうになってるフレッツはこれからもガン無視です。

さて木曜くらいからのログをとります。自分のためにも。
先週の木曜は山本さん来ての中間講評。
2時からと思っていたらまさかの1時から。
焦って出力。どちらにしても間に合わなかったな。
1/30の断面図と1/50の模型でごまかす。半分くらい予想していた言葉だったが、あと半分は収穫があった。フジワラさんに「絶対面白くなるから頑張んないと」と激励の言葉を帰り際にいただく。
あと一ヶ月「しか」ない。
がんばろう。


と言いつつ金曜から土曜。
金曜は朝6時に起きて帰省。祖父母のいる群馬へ。母と合流。
墓参りに行ったり、車を免許取得後初めて運転してみたり、富弘美術館に行ったり、爺さんちを掃除したり。普段何をやっとるか見せる意味でこの前つくったフォリオを見せる。なんだか全然わからんといわれるwww
フォリオはデータがあるのでそのまま親にあげる。

土曜は昼過ぎに一回家に帰ってきて、それから寿のアナーキーママライブに行く。
最後のほうだけ見る。寿町というドヤ街にあって奇跡的にピースフルな状況。スゴイと思う。自分が設計でやってみたいと思うことを既に実現されているようなくらい。
せっかく来たので片付けだけ手伝って打ち上げに参加。
古くから(といっても最長でも7年くらい)寿に関わっている人たちに新たに知り合えてよかった。
人種が豊富。そしてみんな濃厚。
一年半住み込みスタッフしてた作曲家、全身に和彫りが入っているけど知的なwebデザイナー(?)、河童カットの大道芸人、横国の先輩・・・
他にも素性の知れないいろんな人が集まっている。
もし貧民街のボランティアだからといってPTAみたいな気持ち悪い正義感振り回す人たちばかりだったらこんなに進んで行かない。
今後はアーティストも参加してくるらしい。僕が高校生のときから好きな石川直樹も一年間来るらしい
どこかで会えるだろうか。

今の状況を超える建築的オモシロさを設計しないと。

とかいいつつ日曜は引き篭もり。
そしてBenQが映らない。なんで??

ネットも直ったし、今から学校行こうかな。

2009年6月14日日曜日

ヨコハマのポスター


今横浜は横浜デスティネーションキャンペーンとかいうのをやっているらしくて、そのJR東日本のポスターが駅に貼ってある。
上の画像。小さくてわからんかも。
アートワーク自体も良くて、フォントとか凝っているのだけど、女性モデルの写真がよいなーと思っていたら、アラーキー撮影だった。
やっぱ名前が出てなくても一流の写真家は違うんやね。
横浜でJR乗ることがある人は見てみてください。
カッコいいです。

昨日は美女と散歩できて楽しかったんだけど、途中でカメラ落っことして再び壊れました(泣)
シャッターが半分しか切れず、画像の上半分が真っ暗。
衝撃でシャッター幕が引っかかったらしい。
また修理代かかるのヤダー!

でも気づいたんだけど、80年代のカメラであるNikon FE2のシャッター幕はチタンにハニカム状にエッチングしてあってスゴいカッコイイんだけど、最新のデジタル機であるD90はなんかプラスチック製。
プラスチックの薄い板の方が軽いのかもしれんけど、衝撃には弱いし、なんかダサイ。
まあ見えない部品の話なんですけど。

トロピックサンダー見た。
トム・クルーズが秀逸すぎる、の一言につきます。

2009年6月12日金曜日

Y-PAC.comあります

Y-PAC.com公開始めました!
今後内容の充実をはかって参りますが、とりあえず今までよりも見やすくなったと思います。


よろしく!

木曜日はエスキス後3階製図室でやってた3年生の懇親会に乱入して楽しかったです。
飯田さん、田井さん、日野さん、3年生と思いがけずガチ議論になったり。
まあ田井さんは相変わらずテキトーだけど(笑)
でも3年生が去年よりも飲み会参加人数が少なすぎて寂しかったです。俺らのときは大体全員いたけど、今回は25人/70人だって。
いやーこれも世代かのぉ。
でも先生との飲みニケーションは大事と思いますよ。俺もそれで先生達と仲良くなったようなもんだから。
まあ去年は田井さんにいじられてただけだが(笑)

あと計画系の今まで話したことなかった先輩が、景観研究会(のようなもの?)でY-PAC worldmapを参考にしている、という話を聞いてびっくりしました。
まさかそんなところで思いがけず見ている人がいるとは。嬉しいです。
もっと中身を充実させないとね。

今日は写真講評会。
一年生も3人写真をもってきてくれました。(ホントはその3倍くらい入ったはずなんだけど、それについてはもういいということにする(苦笑))
メタい話ばかりになりかけたけど、久しぶりにやると結構おもしろかったです。
次はどんなテーマにしようかな。
俺が出した写真。寿町で今朝撮ってきたばかり(笑)
人がいないとあんま面白くないね。
ただ寿で人にカメラを向けるのはちょっと問題なのでそこはご理解を。

今から帰ってトロピックサンダー観よ。

2009年6月10日水曜日

You Tube


4月にRooftop BARをやったときの動画をYouTube化。
うわ、超簡単。
うpスピードも速い。
こりゃY-PAC TVもまんざらでもないな。

こんな感じでRooftop BAR7月にもやれたらいーなー。
次は全学対象で。
頼むよ、ヨースケ君(笑)

2009年6月9日火曜日

オモシロカッコイイ

まえY-GSAの講演会で広村さんというグラフデザイナーの人が「カワイイ」という評価の表現は、それを評価する「私」というものが存在していて、「カッコイイ」よりもはるかに主観的なのだ。そこに他者の意見が介在する余地はなくて困っちゃうのだ。
と言っていて、なるほど面白かった。

僕は「カワイイ」とは言わないようにしている(女の子に可愛いとはいうけど)。というか俺が言ったらキモイでしょ。

前置きが長いけど、自分はそれではどんな価値観のモノを目指そうか、と考えたときふと「オモシロカッコイイ」ものじゃないかと思った。

広村さんはその時に「笑いを誘うということは実は知的で難しいこと」ともおっしゃっていて、ウィットとかユーモアを混ぜたデザインをした方がよい、という話であった。

笑いというのはいろんなコンテクストとか共通理解とかをふまえた上で、その時に生ずるズレとか可笑しみがクローズアップされて、人を面白いと思わせるのではないかと僕は思っている。わかりやすく言うと柳原可奈子とかのネタは日本人のもってる郊外の女子高生とかに対する共通イメージの上に成り立ってる、というか。

それで、カッコイイという方は主観に対して客観的に誰でも思う格好良さとか、理路整然としているスマートさとか、単純にシャープな線を描くとかそういうことだと解釈している。

「オモシロい」はfunny, joyful, interesting, happy, crazy, entertaining, delightful...
「カッコイイ」はcool,clever, smart, sharp,  good lookin'...
な感じだろうか。いろんな意味を内包していたい。

理屈もちゃんと筋道立っていて、なおかつシステムやフォルムも美しい。
そんなデザインを目指したい。
それは建築だけじゃなく、イベントやパーティにおいてもそう。
オモシロカッコイイということ。
それはなかなかに難しい。でもやりがいはあるんじゃないかな。


まだあまりまとまってないけど、最近こんなことを考えました。

先週の土曜日には寿のホステルの掃除に行ったあと、流れでベトナム系アメリカ人の女の子と、韓国人のミシガン大の大学院生の人と、元霊能力者の日本人の男の人と、日本人の女の人(寿ボランティアではない)と一緒にベトナム料理を食べてカラオケに行ったりしました。
寿に行き始めてまだ2回だけど、すでにこういう状況がオモシロすぎる。
まだもっといろいろ出会いがあるでしょう。たぶん。


あ、そういえばイッシー誕生日おめでとう。

2009年6月6日土曜日

凛として時雨

凛として時雨のようつべを最近よく聴いてる。
突き抜けてる感がよいにゃ。
月末に時雨とかPTPとかが出るライブがスタジオコーストであるのでいきたいにゃ。(←ドロへドロ13巻魔のおまけより。誰もわかんねえか)

なぜか徹夜でY-PACのweb大改造などやってみた。
iWebを使ってかなり楽してやってるが、アップロードとかには禁則事項が多いみたいでめんどくさい。てめーはみっくるんるんか。

この間シンポジウムで話してくださった松島さんのブログで当日の様子がゲストサイドからレポートされている。
こういうのは面白い。
ご本人も楽しんで頂けたようで何より。
そして見落とせないのが

うーん、このディスカッションって文字にならないのかな?
横国の学生の皆さん、是非ぜひお願いします。


の文字。そう言われてしまったらやるしかないでしょう。
いや、でもいっそフリーペーパーとかで出してしまいたいくらい面白かった。
やります。
円錐会のみなさま、お金ください(笑)

堀田が一万平米の課題の為にシンガポールに明後日から3日くらい行くらしい。
フジワラさんに唆されて。
でも俺も行きたいな。そういう突発的な旅。
あ、でも今立て替えとかのおかげで全然金ないわ(笑)
なので今日また寿行ってきます。
ビビっていたのに行くのが楽しみになるとは。不思議なもんじゃ。

イッシーのブログを読んでまた少し考える。
俺もまだ死ねない。
いずれみんなには話したいと思っていることもある。

そうか、もう6月なのか。

2009年6月1日月曜日

コトをデザインする

土日に行われた横国大学祭・清陵祭/ゆらぐ森レポートです。たぶんまた長い。

もあわせてどうぞ。
施工中。鳶のあんちゃんではなくて今回の総指揮官。ほんとおつかれさま。

前日の10時前にゆらぐ森完成!みんな良い笑顔です。
だけどワタクシはまだ安心できません。
当日プログラムがちゃんとうまくいくかが心配。

そして一日目!
おもいおもいにくつろぐお客さん。
入りづらい場所でしたが結構一般の方々にも来て頂けました。

円錐会シンポジウムのようす。例年あまり人が来ないという話を聞いて集客が不安でしたが、大盛況でありがたし。
パワポ送り係でしたが途中パソコンがぼろくて止まりかけて焦りました。みなさま申し訳ありませんでした。
どのプレゼンターの方の話も面白い。クマジム松島さんの修士設計はスゴい。聞きたかった建築マンガの話もよかったです。
設備設計鈴木さんの「下水局との打ち合わせが萌える」という話もヨイ。
ゲストのみなさま、藤原さん、ご来場のみなさま、どうもありがとうございました。

2日目!
ライブペインティングをしていただいた先輩の前田さんと岡田さん。
そしてLone Empty Bedのライブ!!
写真としてはちょっといまいちだけど、この構図が見たかった!!
Loneのライブは激アツでした!
超よかったな〜。この時にこの場所にいなかった人はマジもったいない(笑)
前田さん、岡田さん、Loneのみなさまありがとうございました。

う〜んいいパースだ(笑)

三時で清陵祭終了と同時にAfter PartyもといCrazy Partyのはじまり!

DJしてくれたショウ君とカズキ君(L→R)。雨よけブルーシートが圧迫感(笑)
盛り上げてくれてどうもありがとう!
しかし盛り上がりすぎたアホどもがエラいことに・・・
壊れるAD系。SE系もいるが(笑)
俺も参加すりゃよかった。がその後のスピーカー返却の時汚れてなくてよかった。。

いやしかし面白かった。

総括。
建築をつくるのはひとりじゃできない。プログラムとかもそう。だけどその人を動かすのが一番大変。
つまらないことまであれこれ指図したくないけど、言わなきゃ誰も動かない。
結果的にはうまく行ったけれどホスト側の人間があまりいなくて他の人が入りづらい感じになってしまったり、きちんともてなせなかったり。
計画がズルズルで準備がギリになってしまったりしてしまったことも反省点です。

それでも自分で仕掛けて運営する方がただ見てるだけより全然面白い。
コンペで負けて、モノはデザインできなかったから、「コト」をデザインしようとしました。建築はつくっておわりじゃなくて、使い方もデザインできたら百倍面白くなると再確認しました。
だからこれからも仕掛けたいし、それで世の中とか周囲の環境とかがちょっとでも変わるなら嬉しい。


そんな話とかを打ち上げ後2年のヨースケ村上とマックでガチ議論して帰宅。

あ、あとみんな片付けも大切やで。まじで。

でもほんとみんなおつかれさまでした。