2009年11月9日月曜日

R.I.P.

火曜日に名古屋から帰ってきてほんの数日後の土曜日、高校陸上部の友達から突然[訃報連絡]と書かれたメールが来た。

僕たちの一個上の学年のK先輩が亡くなったという。
明るく、その学年の盛り上げ役だった先輩で、高校卒業後はパン職人の道を進んでいた。

そんな先輩のことを思い出すと突然訃報といわれても何のことやら見当もつかず、とりあえず友人らに確認するが、誰も詳細はわからないらしい。東京にいる同期(といっても2人しかいない)と連絡を取って、とにかくその日のお通夜に駆けつけることにした。
親が何かあったときのためにと送っておいてくれた新しい黒いネクタイをこんなタイミングで使うことになるとは思いもしなかった。

新幹線で名古屋へ行き、家で一息ついてから少し早めに半田の葬儀場に向かった。
ついたときは同期は一人だけで、そのあと三々五々みんな集まってきた。
現場についても分かったのはただ「自ら命を絶った」ということだけだった。
どこで、どうしてかも分からない。
お焼香をしても「先輩何やってんすか」という言葉しか浮かんでこなかった。

K先輩と仲のよかった先輩たちも、僕の同期の友人たちも、みんな何が起きているかわかってないような悲しくもなく、楽しくもないような顔をしていた。
リアリティを構成するためのプロセスも、ディテールも全部抜け落ちていた。
唯一リアルだったのは先輩の棺の中の顔だけだった。

そういえばK先輩に最後にあったのはおととしの夏に陸上部の友達と野間の海で遊んだときだったかもしれない。その後新年の走り初めとかでも会っているかな?
だけど、もう会えないなんて。未だに信じられない。

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実はこの記事をかくのにもう何週間も手がとまったままだ。
お通夜が終わったあとみんなでファミレスに行って、誰一人突然の出来事に対応できずにただ他愛もない話をして、そのあと3人で不二家でパフェを食べて、小学校からの友人とフィリピンパブに行って飲んだ。
なんだろう。よくわからない。

今までほとんどしゃべったことはないが、実は僕の人生観にはある人間の死がかなり強く影響している。その出来事をきっかけに人生について考え始めるようになった。

そして今また親しい先輩が若くして亡くなってしまった。
何が原因だったのかはわからないし、ずっと思い悩んでいたのかどうかもわからない。
だけれども、25歳にして自らの未来を閉ざしてしまうような世の中なんて。

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そして今日(正確には20日の夜8時ごろ)、椙山の子からメールで、建築系ラジオメンバーで、大同工大の山田幸司先生の訃報を聞いた。
理不尽なくらい突然だ。
「こたつ問題」カルチベートトークのときに一度お会いしていて、この間のNDWのときは会いたかったが会えなかった。これから先もY-PACと建築系ラジオなどでいろいろ接点があるのだろう、そのときはちゃんと議論してみたいなと思っていた。それなのに、だ。
今回もたぶんしばらく実感がないのだろう。
そして建築系ラジオで山田さんのいない回が何回も続いてやっと実感できるのかもしれない。

ただの形式的な言葉にすぎないけれど、K先輩も、山田さんも、どうぞ安らかにお眠りください。


K先輩のお通夜では、先輩と同じ代の人たちがみんな高校時代から好きだったXの曲が鳴り響いていた。それは、なぜか、リアルだった。




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