2010年9月28日火曜日

石上展とかあいちトリエンナーレとか


 

 豊田市美術館 石上純也「建築のあたらしい大きさ」展
会場は写真撮影できなかったので簡単にレビュー。
twitterで名古屋の知り合いや横国の後輩が大勢ボランティアとして展示模型製作に参加していたようなので、その設営の大変さはなんとなく伝え聞いていた建築の展覧会。
石上純也さんは今年のヴェネツィアビエンナーレ建築展で金獅子賞を取った若手の建築家です。実作としてはKAIT工房があるくらいで、むしろアート展での作品で語られることも多い。

作品については元BRUTUS副編集長こと鈴木芳雄さんのブログ「フクヘン。」に写真が載ってるので参考にどうぞ。
この展覧会は模型といいつつも机の上における扱いやすい大きさの模型と図面がポンポンと置いてあるようなものではなく、スケールは様々であるけれど展示室いっぱいに広がる(むしろ展示室の大きさにあわせて作られた)バカでかいものが特徴である。

(以下すごい時間が経ってから書いた感想)
石上さんがやろうとしていることははっきりとわからないが、一つには人工環境の極限をつくろうとしているのではないだろうか。
人間は生の自然環境にさらされては基本的には生きていけない。その自然環境から命を守ったり快適に活動するために人工的に環境を改変してきた歴史が建築の歴史ということもできると思う。
石上純也さんの模型群はその人工環境としての建築をどこまで拡大できうるかという思考実験のように思えた。
しかし人工環境と言ったって骨とガワだけでは人間住めるようにならないからなあ。何千メートルも上空にビルが伸びれば空気も薄くなるしさ。

また考え続けます。

あとはあいちトリエンナーレの写真を適当に。
写真はないけど志賀理江子と蔡國強の作品がよかったです。
三沢厚彦の作品


 草間弥生の作品
メルヴェ・ベルクマンの作品
長者町エリアは廃屋と作品がいい感じでmixされててよかったです。
ただこれが終わった後空き家はどうするのかな?
 渡辺英司の作品
夜はynbrさんや名古屋の建築学生と飲み会。
ynbr△!

2010年9月21日火曜日

どこに立つか、自分は

前回のエントリから放置してしまってる間に9月も21日になり、夏休み相談室じゃなくなってしまった。
でも一応つづきということで。

僕は建築を勉強するにつれ、というか建築学科を卒業してみて、建築や建設のセカイの設計意匠以外の部分の職能を段々と知るようになった。学生のうちは周りに建築家以外の社会人がいないこともあって、その外側の拡がりをイメージすることがむずかしい。

では次に何を学ぶか、という話だけど、結論から言うと広義の社会システムやプロジェクトマネジメントを勉強したいと考えている。
建築のブツを設計する、ということの手前に不動産屋や、開発や、投資家などが街に対していろいろ思惑を巡らしてカネとヒトを動かしているのに、それらがひとまずまとまったところで建築家もしくは組織設計事務所のところに話がやってくる。
建築学科で社会に対するソリューションや異議申し立てのつもりで建築を考えるということを勉強してたけど、思ったよりも行政や不動産屋を敵対視しているの先輩建築家を見て「あれ?」って思った。建築家が使われる側っておかしくね?と。

文句を言うくらいなら(きっとどんな仕事をしても働くヒトならなにかに文句はあるものだが)、自分が川上側に立って社会に直接介入できるようになればいいんじゃないか、それにはどんな仕事があるか。

世の中には空間が解決しなきゃ行けない問題がたくさんあるはずだよ。
それをやるのに、巨匠になって公共事業のコンペに勝てるようになるまで待つのはおれはいやだな。