2009年10月20日火曜日

Y-PAC.TV vol.1!!!!!

Y-PAC初の動画企画うpしました!!!!

ONdesign西田司さんと担当スタッフの中川エリカさんにインタビューしています。
これから西田さんの代表作になること間違いなしのヨコハマアパートメントについていろいろお聞きしています。ありがとうございました!


後輩の平田と大沢のおかげで海外のインタビュー動画にもひけを取らない物ができました!!
ほんとありがとう!!
ご意見・ご感想お待ちしております!!!

2009年10月19日月曜日

Nagoya Encounter!!

僕の地元は名古屋のすぐ南隣の東海市というところですが、建築を勉強し始めたのが横浜ということと、中高の友達で東海圏で建築をやっている人というのを寡聞にして知らなかったので、名古屋にデザイン系人脈が全くありませんでした。

将来どこで仕事をするか分かりませんが、そんな損得勘定とは関係なく、リアルなネットワークはどこにでもつくりたいものです。
最近の僕は出待ちや突撃などを常套手段とするほど図々しくなっているため、知り合いがいないならつくってしまおうと、こちらから出かけることにしました。

(つづく、加筆予定)

2009年10月17日土曜日

工学屋的な発想

またまた実家です。ホームシックじゃないよ(笑)

昨日は恒例となりつつあるワタリウム美術館でのトークセッション。
僕はビデラーです。
中山英之さん(建築家)×冨永昌敬さん(映画監督)
前回、冨永さんがインフルダウンしてしまった時のリカバー回です。

内容はいつもながらすげー面白かったんだけど、俺ごときがレポしたところでその感動は1ミリも伝わらないので特には書きません。というかあのイベントはサブタイトルの「今、この場所」じゃないけど、あの時間・あの場所を共有することでしか得られない感動がありますね。一記録者として痛感します。たぶん将来本にもならないし、DVDも出ない(だって俺が撮った映像クオリティだしw)と思うので、語り継がれて伝説みたいになるんじゃないかと思います。
フジワラさんもそれを望んでいるフシがあるww

前回の中山さんレクチャーでも既に思ったけど、中山さんがカワイイスケッチで一本ずつ慎重に線を足していくやり方は相当な覚悟が要るなと思いました。書き方しだいでスケールを横断するんです、なんて遊びのように楽しく説明してたけど、そうやってあらかじめ自分の脳を自分で揺さぶってから一個ずつ血が出るような思いで積み上げてくプロセス。
今までないような「本当に新しい建築をつくる」という覚悟はスゴイなと思う。それは石上純也さんにも同じ空気を感じる。巌窟の中で、いつか俺は王になるんだ、と思い続けるような伊東事務所での日々が中山さんのような建築家を鍛造したのかと。妹島事務所で鍛えられた石上さんも同じか。
あの表層の可愛さがなかったら厳しすぎて受け入れられないかもしれない。
血でスケッチが描いてあったら怖過ぎる。

で、その原子をぶつけて新しい物質を生み出すようなやり方は俺にはできんなーと少し前から思っていた。
覚悟がないというのももちろんあるが、感覚としてちょっと違うというか。
人によっては、建築家はそれを追及しなきゃダメなんだよ、というかもしれないのだけどもしそうなら俺は建築家にはなれないと思うくらいの影を落としていた。

どちらかというと冨永さんがトーク後の席で言っていたスタンスに共感した。
できるだけロケセットを作り直さないようにアリモノでつくる。
40分ワンカット長まわしで、実は画面内の石の影に監督が隠れていて指示を出し続ける、オンタイムで編集をし続ける撮り方。
映画には編集という行為がすでに存在している。
・・・などホントはもっともっとあったが語りつくせない。しかしそういうモノの作り方というか。
さっきの喩えなら分子と分子を組み合わせてそれがどう使えるか試し続ける行為といえるかも。

そこらへんが説明できるような言葉を今読んでいる本で見つけたので朝5時に書いているわけですw
はー、前置きが長い。。

エリーカ開発者の慶応大・清水浩教授の『脱「ひとり勝ち」文明論』という本。やさしめです。

『理学と工学の差は、ぼくの感触でいうと、「新しいもの」があったときに、
「なぜ?」
と考えるのが理学屋さんです。
「これ、何に使うの?」
と考えるのが工学屋さん。
ぼくは工学屋の典型例みたいなものです。
「なぜ?」にはあまり興味がなくて、「これ、何に使うの?」に、非常に興味がありました。』

という一節に、ああ、と思いました。
おれは工学屋的な考え方が好きなんだな、と。

原理を突き詰めていく「建築家」(それはアトリエ派と言われているのかもしれないが)がいるなら、アリモノを組み合わせて新しいモノが見てみたいと思う工学屋的な建築家がいてもいいんじゃないか。
そう考えれば、ああおれも建築目指しててもいいのかなと思えてきました。
工学屋的思考をぶっちぎっていくといわゆる「ゼネコン」になるのかもしれないけど、そこを振り切らないように未来を見据えてモノをつくるのが建築家なのかなと。

やっぱ「批判的工学主義」になっちゃうのかな~(苦笑)

まあよくわからない内容かと思いますが、誰も読んでないと思うんで(笑)
長いブログですいませんでした。

2009年10月14日水曜日

Scrap & Build Launch!!!!


フリーペーパー「Scrap & Build vol.1」が完成しました!!
このフリペに関しては新しくブログ作ったのでそっちに情報を載せていきます。
印刷ミス(?)で最後読みにくい部分があるんですが、どうぞよろしくお願いします。
今のところ手配りしかしていないので、どこか置かせてくれるところを探しています。
学校の図書館にも置いてみたい。
ほう、見てやろう。という方はご連絡くださればどこへでも送付させていただきます。

---------------------------------------------------------------------
ArchiTV2009に行きました。
参加しました、ではなくただ行って徹夜しました(笑)
それでもフリーペーパーを配ったり、シンポジウムを聞いたり、他大の学生に絡んでみたり、Y-PAC radioを録音してみたりしました。
そこで収録したラジオはコチラ↓

Y-PAC radio vol.6 「ArchiTVという場の可能性について」

ちゃんとArchiTV 会場で収録していますが、テーマは2年後のArchiTVについてです。
特に地方の学生の方!是非聞いてレスポンスください。もちろん横国の人たちも!!
--------------------------------------------------------------------
今日13日は象の鼻カフェで行われた「畠山直哉さん×南後由和さん トークイベント」を聞きに行って来ました。
ひとりで行ったけど、告知がマイナーだったためかあんまり混んでなかったよ。。
ただ内容は超濃かったです。建築夜楽校よりもしかすると難しい単語が(社会学、哲学の)飛び交っていたんじゃないでしょうか。
テーマは畠山さんの写真集「scales」と「スペクタクル」というキーワードを巡るもので、写真家と社会学者なのに完全に建築と都市の話でした。
もっと本読まねばーーーと思わされる知的なイベントでした。
やはり畠山さんは猛烈にいろんなことを考えた上で写真を撮っている人でした。カッコいいっす。

いつも煽られても質問できなかったりするので、今日は頑張って質問してみたりしました。まあ大した質問ではなかったけど…

トーク後、畠山さん、南後さんにScrap & Buildを渡してしまいました(笑)恥を省みず、去年書いたY-PAC journal vol.1なんぞももらってもらいまして、恐縮かつ図々しいなと。。

ヤバイ、最近会いたいと思っていた人にどんどん会えてる。
outputすればするほどinputが増える。
僕らがフリペのタイトルにこめたのは、旧い自分をscrapして新しい自分をbuildする、ということだったのかもしれない。

やっぱり人と直接会って話しをする以上にオモシロいメディアはない。

2009年10月10日土曜日

建築夜楽校2009第二夜・感想

建築夜楽校、第二夜も聞いて参りました。

「プロセスとローカリティの関係について考える」
モデレーター:藤村龍至、濱野智史、パネリスト:五十嵐淳、家成俊勝、井手健一郎、古谷誠章、鈴木謙介(敬称略)

第二夜の議論は北海道・大阪・福岡という地方(東京以外)で活躍する建築家を呼んで、地域の固有性という「ローカルであること」ということを越えたローカリティとプロセスについて話が進みました。

議事ログは前回と同様、@siskw氏が実況をしてくれたものが#yagakkouに残っているのでそちらをトレースしてもらうとして、ここでは僕個人が考えたこと、共感したことを書きたいと思います。
というか今回はまとめるのが難しいです。話を咀嚼するのがまず時間がかかる。

ローカリティとは何か?ということは今になっても嚥下できていないし自分で考えることもできていないので、(こんなワードは出なかったけど)僕が今結果的に思った「建築家の職能」という点に絞って考えてみたいと思います。

今回非常に、rhythmdesignの井手さんのおっしゃっていたことに共感しました。井手さんの提示する「翻訳者的建築家像」という概念は、建築家の能力の一つとして重要で、なおかつ建築設計以外のいろいろな場所で求められる力のあり方を示しているのではないかと思いました。
井手さんの場合「バリ島風の木造バンガローをつくってほしい」と言われたが、最終的には施主がどんな思いを「バリ風」という言葉に込めていたのかということを汲み取って、それを一般的な言葉や建築言語に翻訳して、本当に施主が求めているものをシンプルな形にして建築として具現化する、というある意味コンサルタント的な建築家のあり方です。その翻訳者として実際どのようにするかというときに、面的設計プロセスというものをとっている。

よく出てきたキーワードにファシリテーターという言葉がありましたが、この利害調整者としての能力も建築家のもっている重要な能力なのだと思います。いろんな人がワーワー勝手なことをそれぞれの方言で言っていることを、優先順位をつけながら整理し、翻訳することで話を進めていく。それ自体もプロセスですが、建築家は設計プロセス(それが建物なら建築、政策なら政治)を開示することができるというツールも持っている。
そのステークホルダーを巻き込んだプロセスのなかに「突破口」を持ち込むことができることができればより面白い、というのが濱野さんの言葉だったのではないかと思います。
家成さんも井手さんもそれぞれdesign eastとdesigningというイベントでファシリテータ能力をふるっているので、そういった面からの話も聞ければよかったとは思いましたが、そういうオーガナイザーズミーティングはまたどこかの機会に開かれるでしょう。

古谷さんのおっしゃっていた「庭師」的建築家像というのも面白いなと思いました。
つまり、建物を設計して終わりではなくて、ある年限を決めて「じゃあ50年くらいつきあいますか」といってメンテナーとして、またソフト設計者としても関わり続けるというあり方です。非常に根気がいるとは思いますが、そういったこともBIMによって切断がズルズルと先延ばしになれば起こってくるでしょう。もしかしたらヒルサイドテラスでの槇文彦さんのようなあり方になるのかもしれませんが。でもまあそうなれたら街にとっても幸せなことですね。

いずれにしても僕は今後建築家の社会的必要性が増えると信じています。
もう少し正確にいうなら「建築的思考力を持ち、突破口としてのデザイン能力を持った人材」の要請ということです。ますます複雑になり、ムラの村長のような絶対的権力者がいなくなった現在、ステークホルダーが皆win-winの関係になるような合意形成をするときに、建築家的な人材が必要になるだろうと妄想しています。

論としてもあまりまとまっていないですが、今回2夜の夜学校を通してこんなことを考えました。
最後にこのような建築界のカッティングエッジをモデレートして、見せていただいた藤村さん、濱野さん本当におつかれさまでした。ありがとうございます。
そしてこのような流れを僕らの世代でどのようにより大きなものにできるのか考えさせられたシリーズでした。



2009年10月6日火曜日

卒制のために・その一


なんかブロガーの投稿インターフェースがちょっと変わってるよ。マイチェンか?
卒業設計エスキスがはじまりましたー。
僕はK山先生の班です。
今日来たのは5人で(あと2人いるハズ)、少人数でK山さんと対話しながらどんなことやりたいか考えるのは非常に勉強になってよいです。
今日は最初ということで、「どこで・なにを」程度でしたが、自分でもやもや考えてるより先生に「そんな感じでいけ」と言われると一歩前進した気になりますな。
僕は、横浜の大岡川はやめて(友達とかぶったてのもあるし)、超地元の愛知県東海市の工場地帯の再構築をやろうとしました。
上のGooglemapで左側に見えている埋め立て地です。
東海市は鉄鋼の街で、壮大な工業ランドスケープが海側に広がってるわけですが一般人は全然海の近くまで行けないんですよね〜。
そういうところの一部を使って、重工業地帯とエネルギーと観光と、研究教育なんかまで一緒くたにした何か面白いことを考えようかなと。
アイデンティティのない郊外の街だけど、僕にとっては原風景だし、打ち捨てられたブラウンフィールドになる前に新しいモデルを描けたらいいなと思います。

来週末あたり実家に帰って工場見学などしてきたいと思ってます。
ではでは。

2009年10月2日金曜日

建築夜楽校2009第一夜・感想

今年も建築夜楽校に行ってきました。今年のテーマは「データ・プロセス・ローカリティ」で今日は第一夜「データとプロセスの関係を考える」。モデレータ藤村龍至、濱野智史、パネリスト難波和彦、小嶋一浩、山梨知彦、中山英之、江渡浩一郎(敬称略)

レビューというよりは僕の感想、考えたことを少し、忘れないうちに。

今回の議論はこの前のカルティベートトークと同じく、@siskwさんによるtwitter実況が行われました。同じ場で話を生で聞き、後でTLを見ると重層的に理解できて面白いです。

昨年に引き続き登壇した日建設計の山梨知彦さんはBIM(Building Information Modeling?)を使った設計を紹介。話はBIMをひとつの中心として展開しました。おそらくチーム山梨が使っているのはArchiCADではないかと思うのですが、使ってみてわかるけれど、そんなにサクサク設計できるわけじゃない。だから小嶋さんの言っていた「BIMを車に例えると、山梨さんは天才ラリードライバー。操るために天才的な勘が必要。」ということは非常に納得。山梨さんだからこその生産量なのだと思います。

BIMのようなデジタル設計ツールが進化すると、建築家はいらなくなるのでは?という問いが冒頭に濱野さんから、後半にmosaki田中さんから出ていました。誰でも自分の家は自分で好きなように設計できるようになるでしょ、と。でも、これは今日の結論でもあったと思うけれど、僕は建築家はなくならないと思います。
なぜなら、BIMを立ち上げる以前の「問題」を設定するのは建築家でないとできないと思うからです。中山さんであれば「クローバーに着目するところ」であるし、藤村さんであれば超線形設計プロセスにおけるあの最初の「クリアすべき条件の表を作成するところ」であり、その仕事は建築家でなくてはできないことだと思うのです。
僕らが学校で学ぶべきなのはこの「問題を捉え、どのように解決するか」という建築的思考力を鍛えるということだと考えています。だから、東大でのIAESでも話題に上がった、学生へのコンピュータ設計教育はあまり重要ではないと思うし、逆に山本理顕さんが常日頃言っている地域社会圏というのは、最初のパラメータをどこに見るかという話なのではないかと思います。
確かに、自分の家の問題ならば自分が良く分かるかもしれませんが、そこに他の人が使用者として入ってくると、また別の問題系が出てくるでしょう。ではそれを考えるのは誰か?と逆説的に考えるとそれはやっぱり建築家なのではないかなと思います。

だから藤村龍至さんの最も作家性(というか個性?)が発揮されるのはあの表(なんかキャッチーな名前はないのですか?)を作る段階にあるのであって、たくさんのスタディ模型を並べるところではないのだと思います。ビジュアル的には模型のほうがキャッチーではありますが。
超線形設計プロセスではないにしろ、クリアすべき条件の表というのはおそらくどんなカタチにせよ設計の最初にはみんなが設定するもので、実はその表は建築的思考力を鍛えた人々でないとつくれないのだと思います。その表を作った結果、考えることが多くなっちゃって、最大最速の効率を得る(つまり社会にその建築を具現化する)ためにBIMを選んだのが山梨さんで、色鉛筆を選んだのが中山さんなのだ、と思いました。

そのほか、パフュームとバグルス、初音ミクの例えなど面白い話がいろいろありましたが、今日自分のまとめとしてこんなことを書いておきたいなと思いました。

また来週、第二夜にも期待です。