建築夜楽校、第二夜も聞いて参りました。
「プロセスとローカリティの関係について考える」
モデレーター:藤村龍至、濱野智史、パネリスト:五十嵐淳、家成俊勝、井手健一郎、古谷誠章、鈴木謙介(敬称略)
第二夜の議論は北海道・大阪・福岡という地方(東京以外)で活躍する建築家を呼んで、地域の固有性という「ローカルであること」ということを越えたローカリティとプロセスについて話が進みました。
議事ログは前回と同様、@siskw氏が実況をしてくれたものが#yagakkouに残っているのでそちらをトレースしてもらうとして、ここでは僕個人が考えたこと、共感したことを書きたいと思います。
というか今回はまとめるのが難しいです。話を咀嚼するのがまず時間がかかる。
ローカリティとは何か?ということは今になっても嚥下できていないし自分で考えることもできていないので、(こんなワードは出なかったけど)僕が今結果的に思った「建築家の職能」という点に絞って考えてみたいと思います。
今回非常に、rhythmdesignの井手さんのおっしゃっていたことに共感しました。井手さんの提示する「翻訳者的建築家像」という概念は、建築家の能力の一つとして重要で、なおかつ建築設計以外のいろいろな場所で求められる力のあり方を示しているのではないかと思いました。
井手さんの場合「バリ島風の木造バンガローをつくってほしい」と言われたが、最終的には施主がどんな思いを「バリ風」という言葉に込めていたのかということを汲み取って、それを一般的な言葉や建築言語に翻訳して、本当に施主が求めているものをシンプルな形にして建築として具現化する、というある意味コンサルタント的な建築家のあり方です。その翻訳者として実際どのようにするかというときに、面的設計プロセスというものをとっている。
よく出てきたキーワードにファシリテーターという言葉がありましたが、この利害調整者としての能力も建築家のもっている重要な能力なのだと思います。いろんな人がワーワー勝手なことをそれぞれの方言で言っていることを、優先順位をつけながら整理し、翻訳することで話を進めていく。それ自体もプロセスですが、建築家は設計プロセス(それが建物なら建築、政策なら政治)を開示することができるというツールも持っている。
そのステークホルダーを巻き込んだプロセスのなかに「突破口」を持ち込むことができることができればより面白い、というのが濱野さんの言葉だったのではないかと思います。
家成さんも井手さんもそれぞれdesign eastとdesigningというイベントでファシリテータ能力をふるっているので、そういった面からの話も聞ければよかったとは思いましたが、そういうオーガナイザーズミーティングはまたどこかの機会に開かれるでしょう。
古谷さんのおっしゃっていた「庭師」的建築家像というのも面白いなと思いました。
つまり、建物を設計して終わりではなくて、ある年限を決めて「じゃあ50年くらいつきあいますか」といってメンテナーとして、またソフト設計者としても関わり続けるというあり方です。非常に根気がいるとは思いますが、そういったこともBIMによって切断がズルズルと先延ばしになれば起こってくるでしょう。もしかしたらヒルサイドテラスでの槇文彦さんのようなあり方になるのかもしれませんが。でもまあそうなれたら街にとっても幸せなことですね。
いずれにしても僕は今後建築家の社会的必要性が増えると信じています。
もう少し正確にいうなら「建築的思考力を持ち、突破口としてのデザイン能力を持った人材」の要請ということです。ますます複雑になり、ムラの村長のような絶対的権力者がいなくなった現在、ステークホルダーが皆win-winの関係になるような合意形成をするときに、建築家的な人材が必要になるだろうと妄想しています。
論としてもあまりまとまっていないですが、今回2夜の夜学校を通してこんなことを考えました。
最後にこのような建築界のカッティングエッジをモデレートして、見せていただいた藤村さん、濱野さん本当におつかれさまでした。ありがとうございます。
そしてこのような流れを僕らの世代でどのようにより大きなものにできるのか考えさせられたシリーズでした。
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