2011年2月13日日曜日

the social network

映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。監督はデヴィッド・フィンチャー。
CP+で横浜に来ていた高校時代の友人nunmoriと飲んだあと、ソーシャル・ネットワークま観てないんだよねという話になり、24:40からの回という酔狂な時間に桜木町の映画館で観た。
自転車ですぐ行けるところにキレイな映画館があるのはいいよね。貸切というほどではないけど、他には4,5組しかいないので最後列でレッドブルを飲みながらゆったりと観れた。
もしかしたら軽いネタバレを含むかもしれないので、未見の方はご注意を。

今更説明不要だと思うけれど、この映画は世界最大のSNS、Facebookの創立とそれに関わる若者達の群像劇である。Facebookは2004年にハーバード大学の学生、マーク・ザッカーバーグが友人達とハーバードを中心とした大学生間のソーシャル・ネットワークサービスとして作り上げ、その後爆発的にユーザを増やし、今や世界5億人が登録するメガサービスである。日本だと最初の方は帰国子女とか海外留学生なんかが使ってるイメージだったけど、今はtwitterの次はFacebookだ!なんて言われたりしている。

映画の方は、基本的な設定とか出来事の順序、登場人物などは、脚色はあると思うけれど、事実に基づいている。にも関わらず、なんというかあまりの「アメリカの青春映画っぽさ」に驚いてしまった。正確に言うと、スクールカーストや秘密クラブ(フラタニティ)といったアメリカの大学事情が必ず登場するような映画の枠組み、というようなものかもしれない。
もちろん僕もアメリカに留学したこともないし、そのへんの事情に詳しいわけでもない。だけれども、前からそういう映画を見るたびに気になっていた、人種や社会的クラスやアメリカという国の理想像などが絡み合った、登場人物の背景の描き方に興味があった。し、なによりそれが純ジャパたる僕には体感的にわからなかったのだ。

そういうアメリカ映画の典型としてスポーツ万能成績優秀、もちろん家もお金持ち、というようなJockと呼ばれるスクールカーストの頂点に立つ者がいて、Geekというべきオタクハッカーがイジメられる、みたいなテンプレがこの映画にも、というよりFacebookをめぐる実際の物語にもすっかりあてはまっていたのでなんか哀しくも笑ってしまったのである。(スクールカーストは主に高校時代のものらしいので、この映画の場合はちょっと違うかもしれないが。)

Facebookの元になるアイディアを盗用したとしてマークを訴えるウィンクルボス兄弟は超お金持ちでボートのオリンピック選手(ということはアメリカ最強ということだ)の長身イケメンだし、元ルームメイトでCFOとして一緒に会社を立ち上げ、後にマークたちにハブられたことで係争相手となるエドゥアルド・サベリンもユダヤ系ではあるがお金持ちだから初期費用を投資できたわけだ。マーク・ザッカーバーグは映画の描写的にも常にサンダル履きだし、本人のwikipediaを見ても特に家が裕福という記述もない。もちろん、家庭環境という自分にはどうしようもない部分だけが重要なのではないけれど、そういった「自分じゃどうしようもできない」ものが日本よりもあからさまに大学生活に干渉してくるのは、その高い初期スペック値を与えられなかった人からしたら相当に「ウザい」ものなんじゃないかと思える。
劇中のマークのセリフで、「ウィンクルボス兄弟が嫌いなんじゃない。彼らが僕を訴えるのは、人生で初めて自分の思い通りに行かなかったからだよ。」という言葉があったが、これはなるほどなと思うところであったし、他人に興味がないように見えるマークが、ちゃんと人のことを観察していると伺わせる一節だった。
だからかどうかは知らないけれど、Facebookのプロフィールには交際情報や学歴などを書く欄はあっても、親がどんな商売をしていて自分がどれだけ恵まれているか(あるいは貧乏か)を書く欄は(当然だけれど)ない。
インターネットのフラットさ、西海岸のフラットさのほうがマーク・ザッカーバーグには快適に思えたんじゃないかな。ただそれも「フラットであること」と「好き放題やっていいこと」を履き違えたショーン・パーカーによってかき乱されてしまうのだけれど。

しかしながらエドゥアルドがハブられてしまったのはマークの本意とするところなのかはよくわからない。クソヤロウすぎるショーンに唆されただけのようにも思えた。
でもこの部分が本作での謎のまま残されて、観客に委ねられている部分なのだろう。これはFacebookの映画ではなく、ソーシャル・ネットワーク(人間関係)の映画なのだ。


まあ僕の深読みはこんなところだ。
勝手なこと書いたけど基本的には面白かった映画でした。

Facebookが実名主義で、古い友人を探すことができるとは言っても僕の中学、高校の友人のようにそもそもインターネット自体そんなにやってない場合はFacebookでも見つけようがないので、やっぱり日本でもインターネットリテラシが高い人達(アーリーアダプター)向け、例えば大学で言ったらSFC的な人たちが世界中からFacebookにアクセスしているようなイメージがある。それも結局「初期スペックの高い」人達と大体対応してくるような気もしてしまうのだけど。

双子のウィンクルボス兄弟を一人の役者が演じていてCGで別の役者の顔を合成しているとか、映像表現の裏話とか製作側で気になるところはあったけど、それは機会があるときに調べておくことにしよう。
次はtumblr.を題材にした映画をたのむよ。

2011年2月7日月曜日

八◯◯中心披露

中華街の元雑居ビルをシェアオフィスとしてリノベーションしたクリエイティブ・コミュニケーションセンター八〇〇中心(ba ling ling)のオープニングに行ってきました。設計はNOGANとON Design。
NOGANさんはここのロゴ等をデザインした人ですが、イベントなどのときにおでん屋台をやったりしています。長身の素敵男子で来る女子来る女子にモテモテでした。デザインもかっこいいしおでんも美味しいとか素敵すぎる。
 こちらはL PACKさん。出張カフェなどをしています。この日は中華街ということで中国の珍しい豆でした。実は建築学科出身。
 ヒゲポット。

 八〇〇中心はセンターと名のつくものの、一部屋一部屋は非常に狭く、かつ家賃もとてもリーズナブルです。写真家、タイポデザイナー等八組のクリエイターが入居します。
 オンデザインが手を入れた部分は本当にわずかで、間仕切りの壁以外は既存の内装を引き剥がしたテクスチャが露出しています。








 オープニングパーティは普通の建築の内覧会とは違って設計事務所にインビテーションは送らず、入居者の知り合いであったり関係者から話を聞いた人、あとは春節の中華街に観光で来た人がふらっと入ってきたりというある意味新鮮な内覧会でした。

ここでの設計事務所オンデザインの仕事は非常にささやかなものであるかもしれないけれど、街の中でこのようにクリエイションの場が確保されている空間を他にも沢山つくることができたら、それは街というものを少しずつ面白くしていく力になるのではないかと思いました。八〇〇は中華街という人種がミックスされた街にあって象徴的に思います。


これは特に関係ないけどカッコ良かったので。
これは伊勢佐木町ですが。なぜか青く照らされる路地。立入禁止。 

2011年2月1日火曜日

建築とは決定の連続である

以前にも書いたかもしれないけれど、横浜桜木町の建築設計事務所でインターンを二週間ほど前からさせてもらっています。
自分の中で考えが一周して、設計事務所で働きたいと思い、そのためのインターンでもあるのだけど、第一義としてはリアルな建築が作られるところをもっと知りたい、設計するということについてもっと学びたいと思っていることがあります。
今まで建築学科というところで建築の専門教育を受けては来たけれど、それは建築をつくるということのホントの基本のキを学べるか学べないか、というところで卒業してしまう、つまりアタマのなかで自己表現としての設計や模型づくりは頑張るけれどもお金と土地と人と物質が複雑に絡み合った工作物としての建築についてはほとんど学べない(そこまで到達しない)のです。これは必要な時間でもあり、仕方のないことでもあるとは思います。

週三日のインターンとはいえ、数組のお施主さんにも会い、実際にリフォームや新築されたりする予定の敷地を実測調査したり現況図を描いたりしていると日々学ぶことがたくさんあります。簡単な図面の書き方ひとつにしても、建売民家の部材の名前にしても、知らないことが多すぎて自分にがっかりしますが、このインターンが実りあるものになっていると実感できて嬉しいです。

設計事務所にいて、強く感じることは、学生時代とは全く別のスピードで重要な決断が日々下されているということです。事務所では大きいものから小さなものまで様々なプロジェクトが進行しており、常にいろんなフェイズで決定が求められています。工期や予算といった大きな項目から、仕上げ材の素材、打ち合わせの日取り、どの業者が工事するか、など仕事として見れば全く当たり前のことではあるのですが、そんな当たり前のことさえ今まで体感できていませんでした。

先週末の金土日と後輩Oの四年生の卒業設計を手伝いに大学に久しぶりに泊まって作業していました。最初はほんとに模型の作り方のアドバイスとか、細かい締切りに対してケツを叩くとか、断面図を一枚書くとかのつもりで行ったんですが、直前まで後輩の設計ができてなくて、決まらないところが多いまま模型をつくっていきました。
結果的にはガイドと断面図一枚程度しか書けず、自分の力量不足とこの一年間の技術的なレベルアップのなさを実感したのですが、ひとつ強く思ったのは、決断の重要さでした。

今年はたくさん参加していた同期に聞くと、僕の手伝った後輩Oに限らないことなのですが、小さな決定ができずにあれもこれもと考えてるうちに時間が過ぎていく人が多かったそうです。僕の後輩は、提出5日前に行ったときSketch Upの画面の中でスタディしていたのですが、それはかなりよくなさそうでした。すでに建築に習熟している人や、完成立体パースの為に出来上がった案を立ち上げるためには有効なツールだと思うのですが、スタディとしてはマズイものに見えました。例えばスラブの出ひとつにしても、グリグリと延ばしたり縮めたり簡単にできてしまうためにアレもいいしコレもいいなと全く決めれないのです。
僕も卒制が終わったあと後悔したのが、模型をつくってスタディすることの少なさでした。大きな俯瞰の模型しかつくらなかったために、断面的な考察が一切できなかった。外形を決めたら内部の検討へ、内部を決めたら素材の検討へ(プロセスはそれぞれだけど)ということができていなかったのです。
一つ決めるから次に行ける、というプロセスを踏まないと建築など設計できるわけないのです。この実務的には当たり前だけれども教育的には明文化されてなかったことをメソッド化したのが藤村龍至さんでしょう。

Oの性格的な優しさが災いしたのかもしれませんが、決定をくだせないということが如何にプロジェクトを停滞させるかというのを卒業してみて改めてこういった機会に実感しました。
あと老婆心で気になったのは、Oもそうでしたが、過去の卒業設計本(横国の数年分やせんだい、早稲田や理科大の卒本など)を大量に揃えて、本棚にそれしか参照ソースがないという人がわりといたことです。学生の案を見たところで劣化コピーの劣化コピーにしかなりませんし、ヘタな図面を真似してもますます建築の図面とかけ離れていくだけです。
僕自身も四年生のときはいくつか参考にしていて、悲しくなりますが、それよりはちゃんと図面記号や寸法線の書いてある図面や雑誌を真似したほうが確実に設計はよくなると思います。これから大学で設計課題をやる後輩諸兄にはぜひ図面のきちんと載った本や雑誌を真似してもらいたいです。もちろん僕も勉強中です。

軽く書くつもりが長くなってしまいました。
シャープかつスピーディな決定の連続、はっきり言ってツラいことしかないのですが、卓球のラリーのようにテンポよく球を打ち返す、そしてあわよくば攻めこむということでしかモノはつくれないのだなと思うと、早くその術を身につけたいと楽しくなります。
早く仕事として建築に触れたいです。