映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。監督はデヴィッド・フィンチャー。
CP+で横浜に来ていた高校時代の友人nunmoriと飲んだあと、ソーシャル・ネットワークま観てないんだよねという話になり、24:40からの回という酔狂な時間に桜木町の映画館で観た。
自転車ですぐ行けるところにキレイな映画館があるのはいいよね。貸切というほどではないけど、他には4,5組しかいないので最後列でレッドブルを飲みながらゆったりと観れた。
もしかしたら軽いネタバレを含むかもしれないので、未見の方はご注意を。
今更説明不要だと思うけれど、この映画は世界最大のSNS、Facebookの創立とそれに関わる若者達の群像劇である。Facebookは2004年にハーバード大学の学生、マーク・ザッカーバーグが友人達とハーバードを中心とした大学生間のソーシャル・ネットワークサービスとして作り上げ、その後爆発的にユーザを増やし、今や世界5億人が登録するメガサービスである。日本だと最初の方は帰国子女とか海外留学生なんかが使ってるイメージだったけど、今はtwitterの次はFacebookだ!なんて言われたりしている。
映画の方は、基本的な設定とか出来事の順序、登場人物などは、脚色はあると思うけれど、事実に基づいている。にも関わらず、なんというかあまりの「アメリカの青春映画っぽさ」に驚いてしまった。正確に言うと、スクールカーストや秘密クラブ(フラタニティ)といったアメリカの大学事情が必ず登場するような映画の枠組み、というようなものかもしれない。
もちろん僕もアメリカに留学したこともないし、そのへんの事情に詳しいわけでもない。だけれども、前からそういう映画を見るたびに気になっていた、人種や社会的クラスやアメリカという国の理想像などが絡み合った、登場人物の背景の描き方に興味があった。し、なによりそれが純ジャパたる僕には体感的にわからなかったのだ。
そういうアメリカ映画の典型としてスポーツ万能成績優秀、もちろん家もお金持ち、というようなJockと呼ばれるスクールカーストの頂点に立つ者がいて、Geekというべきオタクハッカーがイジメられる、みたいなテンプレがこの映画にも、というよりFacebookをめぐる実際の物語にもすっかりあてはまっていたのでなんか哀しくも笑ってしまったのである。(スクールカーストは主に高校時代のものらしいので、この映画の場合はちょっと違うかもしれないが。)
Facebookの元になるアイディアを盗用したとしてマークを訴えるウィンクルボス兄弟は超お金持ちでボートのオリンピック選手(ということはアメリカ最強ということだ)の長身イケメンだし、元ルームメイトでCFOとして一緒に会社を立ち上げ、後にマークたちにハブられたことで係争相手となるエドゥアルド・サベリンもユダヤ系ではあるがお金持ちだから初期費用を投資できたわけだ。マーク・ザッカーバーグは映画の描写的にも常にサンダル履きだし、本人のwikipediaを見ても特に家が裕福という記述もない。もちろん、家庭環境という自分にはどうしようもない部分だけが重要なのではないけれど、そういった「自分じゃどうしようもできない」ものが日本よりもあからさまに大学生活に干渉してくるのは、その高い初期スペック値を与えられなかった人からしたら相当に「ウザい」ものなんじゃないかと思える。
劇中のマークのセリフで、「ウィンクルボス兄弟が嫌いなんじゃない。彼らが僕を訴えるのは、人生で初めて自分の思い通りに行かなかったからだよ。」という言葉があったが、これはなるほどなと思うところであったし、他人に興味がないように見えるマークが、ちゃんと人のことを観察していると伺わせる一節だった。
だからかどうかは知らないけれど、Facebookのプロフィールには交際情報や学歴などを書く欄はあっても、親がどんな商売をしていて自分がどれだけ恵まれているか(あるいは貧乏か)を書く欄は(当然だけれど)ない。
インターネットのフラットさ、西海岸のフラットさのほうがマーク・ザッカーバーグには快適に思えたんじゃないかな。ただそれも「フラットであること」と「好き放題やっていいこと」を履き違えたショーン・パーカーによってかき乱されてしまうのだけれど。
しかしながらエドゥアルドがハブられてしまったのはマークの本意とするところなのかはよくわからない。クソヤロウすぎるショーンに唆されただけのようにも思えた。
でもこの部分が本作での謎のまま残されて、観客に委ねられている部分なのだろう。これはFacebookの映画ではなく、ソーシャル・ネットワーク(人間関係)の映画なのだ。
まあ僕の深読みはこんなところだ。
勝手なこと書いたけど基本的には面白かった映画でした。
Facebookが実名主義で、古い友人を探すことができるとは言っても僕の中学、高校の友人のようにそもそもインターネット自体そんなにやってない場合はFacebookでも見つけようがないので、やっぱり日本でもインターネットリテラシが高い人達(アーリーアダプター)向け、例えば大学で言ったらSFC的な人たちが世界中からFacebookにアクセスしているようなイメージがある。それも結局「初期スペックの高い」人達と大体対応してくるような気もしてしまうのだけど。
双子のウィンクルボス兄弟を一人の役者が演じていてCGで別の役者の顔を合成しているとか、映像表現の裏話とか製作側で気になるところはあったけど、それは機会があるときに調べておくことにしよう。
次はtumblr.を題材にした映画をたのむよ。
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