石塚のblogで1/1スケールについて書かれているのでそれについて僕として考えること。今年のアーキTVのテーマが「1/1」を扱うらしいということと、今twitterや建築系ラジオで「こたつ問題」というものが話題になってることからも結構旬な話かと思います。
まずは石塚のblogを読んでみてください。
eureka
スケール1/1について思うこと
その2
最初に僕の立ち位置から。
まず僕は今年のアーキTVの実行委員ではないし、企画内容も伝え聞いただけで深くは知りません。なのでアーキTVそのものに対する批判はしません。
僕の通う横国という大学では昔から春の大学祭で仮設建築を学生が設計施工して作る、という伝統があって、僕ら(石塚含む)の班はその選定コンペ(4年の授業でもある)で負けて、別の同期の案が実現されました。だから僕らは施工の手伝いだったし、僕に至っては施工もあまり手伝わず当日のプログラムのことをずっと考えていました。
こたつに関しては妻有を見てないのでラジオを聞いただけです。
というのが僕のポジション。
前置きが長くなったけど以下は短く。
おおむね僕も石塚の意見に同調していて、学生がワークショップやって仮設とかパヴィリオンみたいなものをつくることを目的として「大変だけど、楽しかったー」っていう感想だけを持ち帰ってしまうとあんまり面白くないと思います。それだと参加してない東京以外の全国ほとんどの学生が全く蚊帳の外で、拡がっていくことがないからです。アーキTVのようなある種コンセプチュアルな場所ではそれはやらないほうがいい。それこそtwitterで同時中継して、全国からバンバン議論が起こるような話題に転換していかないともったいない。
そうは言っても、1/1をつくることはつくった人たちにとってはすごく勉強になるから、建築学生だったら一度は経験したほうが良いとは思う。そうしたら安易に「地面掘ります」とか「水平ださなくてもなんとかなります」とか言わなくなるから。現実世界で物質を扱うことがどういうことかを分からないままだと、VectorとPhotoshopだけでサクサクとそれっぽいパースを描いた人たちがもてはやされて、実現したときに悲しいことになったりする。もちろん見たこともないものをつくるということは既知の経験から出て行かなくてはならないのだろうけど、それでも物理法則はなくならない。
この話は思想地図会議で磯崎新さんが言っていた問題にも近いと思う。つまり「身体的な実感のないままに現場にモノに変換できないような図面ばかり増えていく」という話です。これ自体はフィジカルとメタフィジカルの話だったので、直接は関係ないかもしれませんが、何か似たような背景がある気がします。
そういうことを踏まえたうえで、僕が1/1に期待するのは、そのモノをつくって、さらにその先どうしたいのか?というところです。最近僕が思うのは、建築をつくることは目的ではなく手段である、ということです。その先にどんなことを実現したいのか。例えば世界(地域)をもっとよくしたいとか、異分野の人と人がぶつかりあう場を作りたいとか。これらは抽象的で曖昧な話ではあるけれど、建築をつくる先にもっと大きな目的があるはずです。極論すれば、それが実現できるなら「建築」という手段じゃなくてもいいとさえ思います。どちらかといえば建築はお金と時間がかかりすぎるので、最後の手段です。
まわりを見てもそういう目標が透けて見えるひとが少ないので違和感を感じます。こんなこと言うのは青臭い中二病なのかもしれませんが。
結局長くなったので続く。もうちょっとまとめます。
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