http://www.nhk-book.co.jp/books/nhk_books/shisou/info04.html
で、あずまんのブログ巡回してたらこんな質問があったので丸載せします。
(以下東浩紀の渦状言論はてな避難板より引用)
>ぼくは残念ながら、所用で会場に駆けつけられそうにありません。
そこで、藤村さんと濱野くんのふたりに、ぼくから質問を用意することになりました。以下がその質問です。会場で答えてくれるようなので、楽しみにしてください。
1.ふたりへ
先日の思想地図シンポジウムでは(大雑把に要約すれば)磯崎新が、 建築においては物理的限界があるのでどこかで「切断」が必要だ、だからネットの話はあてはまらないと述べていた。その指摘は、濱野・藤村両者のあいだでは どう処理されるのか。藤村=物理派、濱野=ネット派という違いとして反復されるのか、それとも磯崎さんに見えなかった新しい光景がそこに開けているのか。 単なる世代的、時代的連帯ではなく、磯崎さんが納得するような論理を聞きたい。
2.おもに濱野へ
藤村は建築の実践の手がかりとしてアーキテクチャ論 を考えている。濱野はその点はどうか。濱野は自らのアーキテクチャ論をどう「使おう」としているのか。アーキテクチャの分析者になるのか、それとも設計者 になるのか。最近梅田望夫がインタビューで、日本のネットは「残念」で、あまり分析する気がないと言って話題になったが、濱野はそれに対して「でも分析も おもしろいですよ」と答えることになるのか、それとも梅田(象徴としての)を驚かすような設計へと進むのか。実現可能性云々の話ではなく、単純に濱野の意 欲がどこに向かっているのかを聞きたい。
(引用終わり)2.の質問が興味深いので乗せてみました。
梅田さんのインタビュー記事は僕も最近読んで、梅田さんに期待していた人たちが「梅田おまえもか」状態になったらしいという空気をなんとなく感じました。
僕個人としてはウェブ進化論は古本で買ったけどまだ読んでない(なんとなく旬を逃した気がして・・・)が、梅田望夫の展望は悪くなさそうだと思ってました。ところが日本のネットはやっぱダメだとあきらめた。
じゃあシンクタンク研究員の濱野さんはどうするのかと。
僕は濱野さんとかは考えてるだけじゃなくて設計に関わってくればいいと思う。それはネットのアーキテクチャだけじゃなく。
若い建築家がこの期に及んでも尚、微細な風景の差異ばかりを取り扱っていて、もっとダイナミックなアーキテクチャ論に関わってこないのならば、たくさん考えてる奴が実践に移って来い。
分析で満足ならば、結局はアーキテクチャ論もそれまで。領域横断的な「議論→実践」にはなっていかないのだろう。
さて明日はどんな話が聞けるか楽しみであります。
エヴァ破も見ます。
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