2011年8月10日水曜日

archiXing閉鎖のお知らせ


突然のお知らせになり大変申し訳ございませんが、この度、Experience Transportersの加藤康祐さんに協力していただいて作った、情報共有サイトarchiXingを閉鎖いたします。

2011年3月11日の東日本大震災以降、建築/都市系の人々がそれぞれの復興支援活動についての情報共有を行うためのウェブサイトとして立ち上げたarchiXingですが、本日をもちましてサービスを停止させていただきます。

管理人である小泉自身、宮城県石巻市での中心市街地復興に向けての活動に関わっていますが、そこで重要だったのは現場でのリアルな意見交換でした。
震災直後はSNSなどでの情報共有がとても有効に働きました。震災から五ヶ月が経とうとする今、web上での震災についての話題はおちつきはじめています。

それぞれの被災地において現場で復興活動に関わる人々の声を集め、その動きが行き交うことで震災復興へのヒントを見つけられるかもしれないという思いからarchiXingを開設しましたが、自分自身も含めて今はまだ目の前の課題に一つ一つ取り組むことに手一杯で、自身の活動を一般化して伝えることができませんでした。自分のリソースにも限りがある以上、今はweb上の議論の場よりも現場で実践することに重きをおくべきだと痛感しました。

archiXingの主旨に賛同してメンバー登録していただいたみなさまには大変申し訳ございませんが、ここで一度このサイトを閉じることをどうぞご理解ください。

私自身、引き続き石巻をはじめとした震災復興の現場で活動していきます。
その過程ですでに動かれているみなさまとは必ずどこかでそれぞれの活動が交差することがあるかと思います。そのときはぜひ膝を突き合わせてお話ができればと思います。

再び東北の街に人々が穏やかな生活を取り戻せるようがんばりましょう。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2011年8月9日
archiXing管理人 小泉瑛一

2011年7月20日水曜日

ニュー魯曼停オープン

石巻でまたひとつ新しく復活オープンしたバーがあります。
その名も「ニュー魯曼停」。
元々は石巻中央の商店街に面したお店でしたが、今回被災し、ホテルのバーに場所を移して新装開店しました。
6月頭にヒアリングの一環でマスターの阿部明さんと知り合い、ロゴも新しくしたいとのことでデザインをさせて頂きました。学校などで個人的にポスターなどは作ったことありますが、当然お店のロゴデザインははじめてでした。グラフィックデザインの入門書片手に文字を一から作りましたが、最終的には明さんにも気に入っていただき、無事看板として完成しました。

石巻でも一癖二癖あるオトナ達が夜な夜な集まる日本酒バーの新しい顔をデザインさせて頂いたことは光栄でもあり、緊張でもあり。。
ともあれ自分のデザインしたものが世に出るのはうれしいですね!
明さん、オープンおめでとうございます!

2011年7月1日金曜日

RIVER


国破れて山河在り…
とは少し不適切な言葉かもしれないけれど。

しかしながら山河在るところに人も居るものである。
人が居れば国というシステムの再構築もできる。
杜甫は春望という詩で、戦によって荒廃した都を嘆いたが、ここは二の句を勝手に希望の言葉に替えて継ごう。

石巻の若き茅葺き職人は言った。
「葦ってほっておいても勝手に生えてくるんすよ。またそれを刈り取って屋根に葺く。朽ちてきたらはがして土に還す。ぐるぐる回ってる。そういう方が自然じゃないすか。」
僕らは大きなサイクルの中のひとつの切り替えの時期にいるだけなんだろう。

北上川は今日も滔々と流れる。

2011年6月13日月曜日

地方都市をバージョンアップさせること

もはや横浜よりも石巻にいるほうが長いです。

石巻が抱える問題は、日本の地方都市が抱える問題そのもの。
郊外にイオンがあって、中心市街地から人が減り、誰かが新しいことをやって街を変えてくれることを待ち望んでいる。

カリスマは現れないけれど、津波が先に来てしまった。

震災後の復興というのは、震災前の状態に「戻す」ことではなく、街がそもそも抱えていた課題を少しでもクリアして前に進むこと。
今はただひたすら目の前に現れる人や出来事にリアクションする毎日だけど、今やってることが街を変える力になるのだと信じて頑張ろうと思います。

しかし、ここだけ時間の流れが速いんじゃないかってくらいには濃密。

2011年5月16日月曜日

またまた石巻

いま石巻に10日間ほど滞在しています。

実は前回、ゴールデンウィークのときに陸前高田、気仙沼、石巻と二泊三日で来ていたんですが、ブログに書いてアップしたのにBlogger側の不具合なのか全部吹っ飛んでしまいました。
もう一回書くのはめんどうなのでかきません。

さて三回目の石巻です。
毎日いろんな人にあっています。
明日からは東工大から院生が三人来て、合宿状態です。
わりと若い人に囲まれてるけど、同世代はいないので楽しくやりたいです。

最初は「うわー被災地悲惨すぎる」と思うんですが、二回目で街の人達の復興のきざしが見えて希望をもち、三回目ともなると元々の石巻の構造とか面白い場所や建物が見えてきて、建築のプロジェクトとしても面白いフィールドだと思います。
そしていい人たちに当たってると思います。
石巻自体は戦後から大きくなった遠洋漁業の街だけど、そのなかでも頭の柔らかい人たちとチームが組めてます。ありがたいです。

どうせやるなら楽しくやりたい。
そのためにはスキームをねらなきゃいけないし、ロジックを組み立てなきゃいけない。
いろんな意味でアーキテクトを目指したいと思った一日でありました。

というわけでこの滞在中、時間があったらブログにも書きたいと思います。

2011年4月19日火曜日

働きはじめました

宮城県へ行ってきました。
連日ニュースでは被災地の映像は報道されていますが、横浜にいるとだんだんと震災のことを忘れ、あまりに自分たちの日常とかけ離れた光景にどこかよその国のことのように思ってしまいます。
けれども東京から車で六時間ほど高速道路を北上すれば、地震と津波の圧倒的な力で破壊された日本の街々が瓦礫とヘドロに埋もれています。すでに震災から一ヶ月経ったのにも関わらず、未だ遺体捜索がつづき、片付けなど手付かずの場所がたくさんありました。
自分の目で見るだけでなく、匂いや音や、雰囲気など行ってみて初めて体感するものに言葉がありませんでした。
元通りの復興など、いつになることか全く想像がつきません。

こんな大変な日本の状況の中ですが、この4月から働き始めました。
以前からお世話になっていた設計事務所オンデザインの西田さんと、震災復興にむけて建築家としてできることを考え、再び東北の人々が元通りの日常を送れるようにお手伝いすることになりました。
普通の就職とも少し違いますが、収入をもらってこの社会的課題に取り込むことができることは本当に縁に恵まれていることだと思います。
また、こういう動き方が自分らしいのかな、と。

これからどんなことが自分にできるのかわかりませんが、とにかく走りまわってみようと思います。
みなさま今後ともよろしくお願いします。

2011年4月2日土曜日

金沢、0318、お買い物、結婚式、西のほう

震災から3週間、首都圏はまだ節電や自粛によってなんとなくいつもどおりではないけれど、テレビ番組の再開とともに多くの人達が被災地や原発の情報を追うのに疲れて、そのことが忘れられつつあるような空気になってきている。
でも何も終わってないし、よくなってもいない。

そんななかだけど何かしら行ったり撮ったり話したりした。









UNICORN SUPPORTのインタビューで金沢に行って、海鮮丼を食べたりホンマタカシ展を見たり

eq_mtg0318@Y-GSA from Yoichi Koizumi on Vimeo.
横国の学生と山本理顕先生、北山恒先生たちと震災後、建築家に何ができるかについて話しあったり

こんな企画に参加したり→http://anocono.com/2011/03/30/okudaayaka/



BankArtで野老朝雄さんの結婚式に参加したり
東京の西のほうの建築を自転車で駆け巡ったりしてみた。

そんなことをしつつ今自分に何が出来るかぼんやり考えていた。
3.11の震災で確実に日本のモードは変わった。ここから建築界どころか、日本がどうなっていくのかさっぱりわからない。それでも変えて行かなきゃいけないし作らなきゃいけないんだろう。

というわけで僕自身の今後についても、近いうちにお知らせすることができればと思います。

2011年3月13日日曜日

地震、僕の場合。

とても大きな地震があった。
自分自身の心の整理も含めて、僕の場合を記録しておきたい。

3/11 14:46頃
立川に向かう途中JR南武線の車内で地震が起こった。武蔵中原駅のすぐ近く。
これはすごい偶然で、結果的に身を助けたのだけど、たまたま立川・福生の建築の写真を撮るつもりで移動手段として自転車を輪行していた。しかもいつもどおり寝坊して、午前中に出かけるつもりがこの時間になってしまった。撮影的にはアウトだったけど、これもラッキーだった。
緊急地震速報のおかげか、ゆっくりと電車が止まり、止まると同時に大きな横揺れが来た。
高架の上で、しかも電車の車内という元々揺れる乗り物の中にいて震度5の地震はかなり恐ろしかった。車両ごと高架の下に落ちるんじゃないかとさえ思った。
長い揺れの後、さらにいくつかの余震、情報の無い車内は静かに混乱していた。
メールも電話も通じないなか、Twitterで得た情報を元にSkypeのクレジットをその場で購入し、Skype経由で実家の固定電話に掛けた。正直な話、iPhoneであることがかなり助かった。
一時間以上は車内に閉じ込められていただろうか。高架上なので、揺れは怖いが見晴らしが効くので閉塞環境での圧迫感がなく車内もパニックに陥らずにすんだ。
東の空には黒煙が上がっていた。
そして武蔵中原駅からの救援があり、最後尾から降りて線路伝いに避難した。
ここから不幸中の幸いにして持っていた自転車を組み立て、国道409号線から国道1号線を伝い、横浜へ。もし、この時間に福生に居て、しかも徒歩だったらと思うと呆然とする。
街道沿いはところどころ停電で信号が止まり、車道も歩道も避難する人たちで大渋滞している。多くの人達が長い道のりを歩いていた。
大きな地図で見る
3/11 18:00頃
電車や帰路の途中で得るTwitter経由の情報からはわからなかったが、家についてみるとテレビのニュースを見て今回の地震の規模を知る。関東でちょっと大きめの地震どころではなかった。それはみなさんも知る通りだろう。
信じられない光景とはこのことだ。
その後21:30頃、Twitterで自宅近辺で帰れなくなっている人に呼びかけ、関内の不動産屋さんの@yokohamastyleさんをお泊めする。
横浜駅での帰宅困難者6万人と聞き、何かできることがあればと思っていたけど、今思えば僕自身がひとりきりにならず気持ちの面でとても助かった。

そして3/12 9:00頃、少し早めに起きたのでレンタルDVDを返しついでに横浜駅や関内などニュースで映像が流れた場所を自転車で見に行った。
野次馬根性でしかないけれど、東北や北関東で途方も無い災害になっているこの震災を、自分の分かる範囲で把握しておきたかった。
横浜ダイエー前
ダイエーの階段。建物の周囲が地盤沈下したのだろう。
中継するTVアナウンサー。
大きく割れているところ。
避難場所だったパシフィコ横浜から搬出される大量の毛布。被災地へ運ばれるのだろうか。
横浜スタジアム横のビル。正面の壁(鉄筋入りの構造壁ではなさそう)が破壊され、道に瓦礫が落ちている。
3/12 11:30頃、この間までインターンでお世話になっていたオンデザインで片付けの手伝いなどをする。家で一人でポートフォリオを作るなんて気分にはなれなかった。
オンデザインのみなさんも無事だったけれど、ボスのクルマで順次スタッフの家まで送って行くと、また横浜までボスが帰りついたのは夜の2時を過ぎていたそうだ。
事務所のビルはコンクリートの壁にくっきりとクラックが入っていた。

今日はずっとネットやテレビの曖昧な情報でしかわからず、福島の原発や震源地の変わる新しい地震、群馬の祖父母、まだ連絡のつかない八戸の友人、旅先の仙台で被災し慣れない土地で避難生活をしている後輩たち、そして地図が書き換えられるほどの被害を受けた東北の状況、全てが不安だ。そして平常と変わらないように見える横浜の様子との乖離が不気味だ。
一人は怖い。被災地とは比べものにならないとしても。
友達とのSkypeで少しは気が楽になった。

ここから一人でも多くの人が助かることを祈ります。
復興に、なんの専門家でもないけど力になれたらと思います。

2011年3月5日土曜日

首都圏外郭放水路


埼玉の首都圏外郭放水路へ見学に行ってきました。
超かっこいいです。
人間の生活を守るために大地をハックするインフラ技術。
トンネルや立坑には入れないのですが、調圧水槽だけでも一見の価値ありです。
素晴らしい。
いい写真が撮れた。

2011年2月13日日曜日

the social network

映画「ソーシャル・ネットワーク」を観た。監督はデヴィッド・フィンチャー。
CP+で横浜に来ていた高校時代の友人nunmoriと飲んだあと、ソーシャル・ネットワークま観てないんだよねという話になり、24:40からの回という酔狂な時間に桜木町の映画館で観た。
自転車ですぐ行けるところにキレイな映画館があるのはいいよね。貸切というほどではないけど、他には4,5組しかいないので最後列でレッドブルを飲みながらゆったりと観れた。
もしかしたら軽いネタバレを含むかもしれないので、未見の方はご注意を。

今更説明不要だと思うけれど、この映画は世界最大のSNS、Facebookの創立とそれに関わる若者達の群像劇である。Facebookは2004年にハーバード大学の学生、マーク・ザッカーバーグが友人達とハーバードを中心とした大学生間のソーシャル・ネットワークサービスとして作り上げ、その後爆発的にユーザを増やし、今や世界5億人が登録するメガサービスである。日本だと最初の方は帰国子女とか海外留学生なんかが使ってるイメージだったけど、今はtwitterの次はFacebookだ!なんて言われたりしている。

映画の方は、基本的な設定とか出来事の順序、登場人物などは、脚色はあると思うけれど、事実に基づいている。にも関わらず、なんというかあまりの「アメリカの青春映画っぽさ」に驚いてしまった。正確に言うと、スクールカーストや秘密クラブ(フラタニティ)といったアメリカの大学事情が必ず登場するような映画の枠組み、というようなものかもしれない。
もちろん僕もアメリカに留学したこともないし、そのへんの事情に詳しいわけでもない。だけれども、前からそういう映画を見るたびに気になっていた、人種や社会的クラスやアメリカという国の理想像などが絡み合った、登場人物の背景の描き方に興味があった。し、なによりそれが純ジャパたる僕には体感的にわからなかったのだ。

そういうアメリカ映画の典型としてスポーツ万能成績優秀、もちろん家もお金持ち、というようなJockと呼ばれるスクールカーストの頂点に立つ者がいて、Geekというべきオタクハッカーがイジメられる、みたいなテンプレがこの映画にも、というよりFacebookをめぐる実際の物語にもすっかりあてはまっていたのでなんか哀しくも笑ってしまったのである。(スクールカーストは主に高校時代のものらしいので、この映画の場合はちょっと違うかもしれないが。)

Facebookの元になるアイディアを盗用したとしてマークを訴えるウィンクルボス兄弟は超お金持ちでボートのオリンピック選手(ということはアメリカ最強ということだ)の長身イケメンだし、元ルームメイトでCFOとして一緒に会社を立ち上げ、後にマークたちにハブられたことで係争相手となるエドゥアルド・サベリンもユダヤ系ではあるがお金持ちだから初期費用を投資できたわけだ。マーク・ザッカーバーグは映画の描写的にも常にサンダル履きだし、本人のwikipediaを見ても特に家が裕福という記述もない。もちろん、家庭環境という自分にはどうしようもない部分だけが重要なのではないけれど、そういった「自分じゃどうしようもできない」ものが日本よりもあからさまに大学生活に干渉してくるのは、その高い初期スペック値を与えられなかった人からしたら相当に「ウザい」ものなんじゃないかと思える。
劇中のマークのセリフで、「ウィンクルボス兄弟が嫌いなんじゃない。彼らが僕を訴えるのは、人生で初めて自分の思い通りに行かなかったからだよ。」という言葉があったが、これはなるほどなと思うところであったし、他人に興味がないように見えるマークが、ちゃんと人のことを観察していると伺わせる一節だった。
だからかどうかは知らないけれど、Facebookのプロフィールには交際情報や学歴などを書く欄はあっても、親がどんな商売をしていて自分がどれだけ恵まれているか(あるいは貧乏か)を書く欄は(当然だけれど)ない。
インターネットのフラットさ、西海岸のフラットさのほうがマーク・ザッカーバーグには快適に思えたんじゃないかな。ただそれも「フラットであること」と「好き放題やっていいこと」を履き違えたショーン・パーカーによってかき乱されてしまうのだけれど。

しかしながらエドゥアルドがハブられてしまったのはマークの本意とするところなのかはよくわからない。クソヤロウすぎるショーンに唆されただけのようにも思えた。
でもこの部分が本作での謎のまま残されて、観客に委ねられている部分なのだろう。これはFacebookの映画ではなく、ソーシャル・ネットワーク(人間関係)の映画なのだ。


まあ僕の深読みはこんなところだ。
勝手なこと書いたけど基本的には面白かった映画でした。

Facebookが実名主義で、古い友人を探すことができるとは言っても僕の中学、高校の友人のようにそもそもインターネット自体そんなにやってない場合はFacebookでも見つけようがないので、やっぱり日本でもインターネットリテラシが高い人達(アーリーアダプター)向け、例えば大学で言ったらSFC的な人たちが世界中からFacebookにアクセスしているようなイメージがある。それも結局「初期スペックの高い」人達と大体対応してくるような気もしてしまうのだけど。

双子のウィンクルボス兄弟を一人の役者が演じていてCGで別の役者の顔を合成しているとか、映像表現の裏話とか製作側で気になるところはあったけど、それは機会があるときに調べておくことにしよう。
次はtumblr.を題材にした映画をたのむよ。

2011年2月7日月曜日

八◯◯中心披露

中華街の元雑居ビルをシェアオフィスとしてリノベーションしたクリエイティブ・コミュニケーションセンター八〇〇中心(ba ling ling)のオープニングに行ってきました。設計はNOGANとON Design。
NOGANさんはここのロゴ等をデザインした人ですが、イベントなどのときにおでん屋台をやったりしています。長身の素敵男子で来る女子来る女子にモテモテでした。デザインもかっこいいしおでんも美味しいとか素敵すぎる。
 こちらはL PACKさん。出張カフェなどをしています。この日は中華街ということで中国の珍しい豆でした。実は建築学科出身。
 ヒゲポット。

 八〇〇中心はセンターと名のつくものの、一部屋一部屋は非常に狭く、かつ家賃もとてもリーズナブルです。写真家、タイポデザイナー等八組のクリエイターが入居します。
 オンデザインが手を入れた部分は本当にわずかで、間仕切りの壁以外は既存の内装を引き剥がしたテクスチャが露出しています。








 オープニングパーティは普通の建築の内覧会とは違って設計事務所にインビテーションは送らず、入居者の知り合いであったり関係者から話を聞いた人、あとは春節の中華街に観光で来た人がふらっと入ってきたりというある意味新鮮な内覧会でした。

ここでの設計事務所オンデザインの仕事は非常にささやかなものであるかもしれないけれど、街の中でこのようにクリエイションの場が確保されている空間を他にも沢山つくることができたら、それは街というものを少しずつ面白くしていく力になるのではないかと思いました。八〇〇は中華街という人種がミックスされた街にあって象徴的に思います。


これは特に関係ないけどカッコ良かったので。
これは伊勢佐木町ですが。なぜか青く照らされる路地。立入禁止。 

2011年2月1日火曜日

建築とは決定の連続である

以前にも書いたかもしれないけれど、横浜桜木町の建築設計事務所でインターンを二週間ほど前からさせてもらっています。
自分の中で考えが一周して、設計事務所で働きたいと思い、そのためのインターンでもあるのだけど、第一義としてはリアルな建築が作られるところをもっと知りたい、設計するということについてもっと学びたいと思っていることがあります。
今まで建築学科というところで建築の専門教育を受けては来たけれど、それは建築をつくるということのホントの基本のキを学べるか学べないか、というところで卒業してしまう、つまりアタマのなかで自己表現としての設計や模型づくりは頑張るけれどもお金と土地と人と物質が複雑に絡み合った工作物としての建築についてはほとんど学べない(そこまで到達しない)のです。これは必要な時間でもあり、仕方のないことでもあるとは思います。

週三日のインターンとはいえ、数組のお施主さんにも会い、実際にリフォームや新築されたりする予定の敷地を実測調査したり現況図を描いたりしていると日々学ぶことがたくさんあります。簡単な図面の書き方ひとつにしても、建売民家の部材の名前にしても、知らないことが多すぎて自分にがっかりしますが、このインターンが実りあるものになっていると実感できて嬉しいです。

設計事務所にいて、強く感じることは、学生時代とは全く別のスピードで重要な決断が日々下されているということです。事務所では大きいものから小さなものまで様々なプロジェクトが進行しており、常にいろんなフェイズで決定が求められています。工期や予算といった大きな項目から、仕上げ材の素材、打ち合わせの日取り、どの業者が工事するか、など仕事として見れば全く当たり前のことではあるのですが、そんな当たり前のことさえ今まで体感できていませんでした。

先週末の金土日と後輩Oの四年生の卒業設計を手伝いに大学に久しぶりに泊まって作業していました。最初はほんとに模型の作り方のアドバイスとか、細かい締切りに対してケツを叩くとか、断面図を一枚書くとかのつもりで行ったんですが、直前まで後輩の設計ができてなくて、決まらないところが多いまま模型をつくっていきました。
結果的にはガイドと断面図一枚程度しか書けず、自分の力量不足とこの一年間の技術的なレベルアップのなさを実感したのですが、ひとつ強く思ったのは、決断の重要さでした。

今年はたくさん参加していた同期に聞くと、僕の手伝った後輩Oに限らないことなのですが、小さな決定ができずにあれもこれもと考えてるうちに時間が過ぎていく人が多かったそうです。僕の後輩は、提出5日前に行ったときSketch Upの画面の中でスタディしていたのですが、それはかなりよくなさそうでした。すでに建築に習熟している人や、完成立体パースの為に出来上がった案を立ち上げるためには有効なツールだと思うのですが、スタディとしてはマズイものに見えました。例えばスラブの出ひとつにしても、グリグリと延ばしたり縮めたり簡単にできてしまうためにアレもいいしコレもいいなと全く決めれないのです。
僕も卒制が終わったあと後悔したのが、模型をつくってスタディすることの少なさでした。大きな俯瞰の模型しかつくらなかったために、断面的な考察が一切できなかった。外形を決めたら内部の検討へ、内部を決めたら素材の検討へ(プロセスはそれぞれだけど)ということができていなかったのです。
一つ決めるから次に行ける、というプロセスを踏まないと建築など設計できるわけないのです。この実務的には当たり前だけれども教育的には明文化されてなかったことをメソッド化したのが藤村龍至さんでしょう。

Oの性格的な優しさが災いしたのかもしれませんが、決定をくだせないということが如何にプロジェクトを停滞させるかというのを卒業してみて改めてこういった機会に実感しました。
あと老婆心で気になったのは、Oもそうでしたが、過去の卒業設計本(横国の数年分やせんだい、早稲田や理科大の卒本など)を大量に揃えて、本棚にそれしか参照ソースがないという人がわりといたことです。学生の案を見たところで劣化コピーの劣化コピーにしかなりませんし、ヘタな図面を真似してもますます建築の図面とかけ離れていくだけです。
僕自身も四年生のときはいくつか参考にしていて、悲しくなりますが、それよりはちゃんと図面記号や寸法線の書いてある図面や雑誌を真似したほうが確実に設計はよくなると思います。これから大学で設計課題をやる後輩諸兄にはぜひ図面のきちんと載った本や雑誌を真似してもらいたいです。もちろん僕も勉強中です。

軽く書くつもりが長くなってしまいました。
シャープかつスピーディな決定の連続、はっきり言ってツラいことしかないのですが、卓球のラリーのようにテンポよく球を打ち返す、そしてあわよくば攻めこむということでしかモノはつくれないのだなと思うと、早くその術を身につけたいと楽しくなります。
早く仕事として建築に触れたいです。

2011年1月26日水曜日

LEADER 725TR


買っちゃった。
シングルギア、LEADER 725TR。
いわゆるピストです。
乗りまくろう。

2011年1月17日月曜日

BDB/ASPARAGUS/kamomekamome@吉祥寺SEATA

一人でライブ行ってきました。
ライブ自体久しぶり?
最近聴きまくっているBackdropBombをついに直に見てきました。
僕はHi-StandardはじめいわゆるAIRJAM世代の最後の方なんですが、当時は聞いてなかったBDBを今やっとキャッチアップして一人でハマりまくってマス。唯一無二だよまじで。
吉祥寺のClub SEATA、対バンは機材車を盗まれてしまって間もない(悲)ASPARAGUSとkamomekamome。
カモメの方は名前も知らなかったんですが、前日にちょっとTLに聞いてYoutubeで見てみて、iTunesで即購入。Vo.の向氏は元ヌンチャクだそうです。なるほどの男臭さ。
PAのバランスなのかVo.の声が引っ込んでて歌詞が聞き取れなかったのが残念でしたが熱さは十分楽しみました。客層的には一部しか盛り上がってなかったけど笑


ASPARAGUSはエモ/メロコアって感じで見てて安心、みたいな。
MCが軽快でした。予習してかなかったから暴れずじっくり見てました。


そしてBackdrop Bombですよ。
ミクスチャー的な音を好む人みんなにマジでオススメしたい。気づいたらアルバム6枚も持ってた。
今回のイベントの主催だと言うのにMCはほとんどなし。
新ギターの寿千寿氏が赤青のフェイスペイントにタキシードという狂った格好でクールでした。透明なアクリルギターでワウペダルに片足立ち、みたいな。
最前列でヘッドバンキング&ジャンピング&シャウティングで首が痛い。
意外とキレイ目な格好(もちろんバンドTもいっぱい)をした女子とかもガンガン飛び跳ねててファン層広いなと思いました。
3バンド出演ということもあってかあっという間に終わってしまった感。いや、楽しい時は過ぎるのが速い?
一曲目はコレ。


今年は出来る限りLiveやFesに行きたい。楽しいことは我慢しない。瞬発力で生きるよ。
次はどのバンドを見ようか。

2011年1月13日木曜日

伊藤計劃:虐殺器官

正月から少しずつ読んで今日やっと読み終わりました。
一気に読めば二日くらいで読めちゃうかもですが。
いまさら僕がオススメしなおす必要もないような名作ですが、面白かったのでオススメします。

SF小説的な独特の言い回しと、主人公クラヴィスの「ぼく」という一人称で語られる文体のバランスが丁度良く、読みやすい。
最終章のあとのエピローグで語られる結末が考えさせられる。
そしてARの網膜オルタナのように映像が目に浮かぶ。

というわけでSF小説初心者としていい入りになりました。ぜひ。


次はハーモニーとメタルギアソリッド ガンズ・オブ・ザ・パトリオット〈小説版〉読みたいです。
しかし伊藤計劃氏の長編作品がこれ以上出ることはないなんて。残念ですね。


2011年1月8日土曜日

歴代の携帯たち

昔使ってた携帯が捨ててなかったので並べてみた。
最初と二番目に使ってたのはもう捨てちゃったからないけど、全部で6台の携帯を使ってきたことになる。高一からだから約10年で6台かな。
(sony ericsson:白)→(京セラ:ライムグリーン)→東芝:オレンジ→サンヨー:赤→東芝:緑→iPhone:黒(今使ってる)
なんか派手な色のばかり使ってきたな笑

毎日持っていたものでもあるので名残り惜しくはあるけど、まさに取っておいてもしかたないので、auショップに持って行って回収してもらおう。
都市鉱山資源として活躍してきてね。

2011年1月3日月曜日

2011 start


あけましておめでとうございます。
正式な発表はまだなのでここでは措きますが、昨年はあまり努力もできず、攻めきることもできなかった一年と結果としてなってしまいました。

大学を卒業したことで、学校に行くことはほとんどなくなりましたが、幸いなことにたくさんの社会人の方々や異業種の方々に知り合う機会に恵まれ、自分の興味や見識は拡がった一年となりました。
しかしながら本業の勉強のほうでは怠惰な自分がそのまま出て、いくつも残念な結果を重ねてしまいました。
身近な人々はじめ、twitterなどでも応援してくれた方々を裏切る形になってしまいましたが、悔やんでいてもしかたがないので、次の展開に向けて全力を尽くしたいと思います。

年末年始は大人数で忘年会をしたり、群馬の祖父母のところに行って神社の手伝いをしたり、高校の同級生たちと飲むために名古屋に帰ってきたりしてました。
父方の90過ぎの爺さんも年末体調崩して大分痩せてインディジョーンズの聖杯を護る十字軍の老騎士みたいになってしまったけれど、まあぼけてもいないしメシも食えてたので安心しました。

高校の部活の友達が結構リア充化してて、なんか取り残されてる気分にも(ていうかイジられつつ)思ったなあ。


今年は社会の荒波に揉まれて、修行して、自分を鍛えて世界に出るための礎となるような年としたいと思います。

では今年もより一層楽しく生きましょう!