2014年3月12日水曜日

3年経った。だけどこれから。

東北の震災から3年が経ちました。
僕が石巻に関わるようになってから早くも3年が経ったということでもあります。
あのとき25歳だった僕は28歳になり、20代もあと少しで終わってしまいます。恥ずかしながら社会に出たのが遅かった僕は、震災を経て偶然の積み重なりで石巻と横浜で働くことが社会人のスタートとなりました。
もうそこから数えて3年も経ったのか、と言うのが正直な感想です。自分自身の成長がちゃんとそこにあったのか?という焦りと、意外と月日は早く過ぎ去ってしまうものだという感覚が並走しています。

石巻の料理店・松竹に居候させてもらいながら、日々の出来事や新しく出会う人達にただただ一生懸命リアクションしていたあの時から考えれば、今のISHINOMAKI 2.0の仕事や知名度などは想像もつかないことです。
お金もコネもない若者の(そしてややアウトサイダーよりな)集まりがこんなふうに続いていくとも思っていなかったし、代表の豪太さんが今のように引っ張りだこになるなんて最初は考えられなかった。

けれども一方で、最初から僕達がやっていることは絶対に面白いという一種の確信がありました。もう少し正確に言うと、僕がいる環境や周りの人達はどこよりも面白いという自信がありました。

芦沢さんという大学の先輩がいて、その元々の友人でありクライアントの松竹の久利さんがいて、その小中学校の同級生のちんばさんがいて。芦沢さんに紹介されて来た石巻(たぶん震災前は僕はその地名すらわからなかった)の避難所で豪太さんに会い、ボスの西田さんの仕事仲間の志伯さんから昭雄さんや有子さんやしゅんしゅんさんにつながり、豪太さんや久利さんが通っていた居酒屋店主の明さんに知り合い…という風に書き連ねていったらキリがないほどの偶然と必然の連続の上に今の僕があるのだという実感があります。

横浜にも石巻にも特に決まった席はない僕は、そのすべての人達から仕事の仕方を教えてもらい、志を学ばせてもらっています。先日お話をうかがったある日本酒の蔵元の社長は、「日本酒が私にとっての師匠」とおっしゃっていましたが、僕にとっては彼らこそが(彼らのいるこの石巻というまちこそが)師匠であり兄貴です。
相変わらず仕事も彼女もできませんが、師匠や兄貴たちに恵まれているということは自信を持って言えます。

震災から3年経って、東京や横浜で(あまり三陸に来たことのない)人に会うと「被災地の復興は進んでいるの?」と十中八九聞かれます。そんなことは一概には言えません。仙石線も復旧していないし、仮設住宅に住んでいる人たちもまだ何千人といます。そういうハード的な側面を見ればまだまだ復興しているなんて言えないけれども、まちを歩き、生活する分には別段被災地を意識するようなことはありません。逆に、今の石巻だからこそ生まれ得ているプロジェクトや若者のチャレンジに出くわすことも珍しくありません。そういう意味では、被災地以外の都市と比べて一歩進んでいるところもあれば百歩くらい遅れているところも混在していて、復興したかしていないかというのは言葉の問題に過ぎないと思うのです。
だから僕は(しつこく)まずは一回遊びに来て下さい、石巻を楽しんで下さい、ということ(そのかわり自分の目で見て、自分の頭で考えて次の一歩を踏み出してくださいということ)を言っているわけです。

そうやって外から来た人が、このまちの人と関わりを持って、目の前に見えてきた課題を(勝手に)自分ごと化して、自分の人生の問題として取り組むようになってくれれば、東北全体が復興したかどうかというある意味優等生的な質問はどうでもよくなってくると思います。自分にとってどうか、ということを考えないときっと想像力も追いつかないし、なにより持続しません。

だから、僕がこうして震災後の3年間を自分にとっての社会人としての(つまり大人になってからの)人生と重ねられて、かつ、「面白いまちをつくる」という目標にも重ねられていることはある意味でとてもラッキーなことだと思っています。

2014年の3月11日を迎えて、地震のあった14時46分を初めて日和山で過ごしました。友人の増田くんと一緒に行き、何人か知り合いに会いましたが、この時間はどこに居てもいずい(違和感がある)よねと話をして、なんとなく象徴的な日和山にみんな集まり、海に向かって祈りました。世間的に3年といえば区切りのような雰囲気ですが、たぶんこのまちにいる人はそう思ってないでしょう。

もう3年経った、だけどこれからという思いを胸に、4年目の石巻でもっともっと頑張っていきたいと思います。僕の師匠や兄貴たちのためにも。


2011年8月10日水曜日

archiXing閉鎖のお知らせ


突然のお知らせになり大変申し訳ございませんが、この度、Experience Transportersの加藤康祐さんに協力していただいて作った、情報共有サイトarchiXingを閉鎖いたします。

2011年3月11日の東日本大震災以降、建築/都市系の人々がそれぞれの復興支援活動についての情報共有を行うためのウェブサイトとして立ち上げたarchiXingですが、本日をもちましてサービスを停止させていただきます。

管理人である小泉自身、宮城県石巻市での中心市街地復興に向けての活動に関わっていますが、そこで重要だったのは現場でのリアルな意見交換でした。
震災直後はSNSなどでの情報共有がとても有効に働きました。震災から五ヶ月が経とうとする今、web上での震災についての話題はおちつきはじめています。

それぞれの被災地において現場で復興活動に関わる人々の声を集め、その動きが行き交うことで震災復興へのヒントを見つけられるかもしれないという思いからarchiXingを開設しましたが、自分自身も含めて今はまだ目の前の課題に一つ一つ取り組むことに手一杯で、自身の活動を一般化して伝えることができませんでした。自分のリソースにも限りがある以上、今はweb上の議論の場よりも現場で実践することに重きをおくべきだと痛感しました。

archiXingの主旨に賛同してメンバー登録していただいたみなさまには大変申し訳ございませんが、ここで一度このサイトを閉じることをどうぞご理解ください。

私自身、引き続き石巻をはじめとした震災復興の現場で活動していきます。
その過程ですでに動かれているみなさまとは必ずどこかでそれぞれの活動が交差することがあるかと思います。そのときはぜひ膝を突き合わせてお話ができればと思います。

再び東北の街に人々が穏やかな生活を取り戻せるようがんばりましょう。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2011年8月9日
archiXing管理人 小泉瑛一

2011年7月20日水曜日

ニュー魯曼停オープン

石巻でまたひとつ新しく復活オープンしたバーがあります。
その名も「ニュー魯曼停」。
元々は石巻中央の商店街に面したお店でしたが、今回被災し、ホテルのバーに場所を移して新装開店しました。
6月頭にヒアリングの一環でマスターの阿部明さんと知り合い、ロゴも新しくしたいとのことでデザインをさせて頂きました。学校などで個人的にポスターなどは作ったことありますが、当然お店のロゴデザインははじめてでした。グラフィックデザインの入門書片手に文字を一から作りましたが、最終的には明さんにも気に入っていただき、無事看板として完成しました。

石巻でも一癖二癖あるオトナ達が夜な夜な集まる日本酒バーの新しい顔をデザインさせて頂いたことは光栄でもあり、緊張でもあり。。
ともあれ自分のデザインしたものが世に出るのはうれしいですね!
明さん、オープンおめでとうございます!

2011年7月1日金曜日

RIVER


国破れて山河在り…
とは少し不適切な言葉かもしれないけれど。

しかしながら山河在るところに人も居るものである。
人が居れば国というシステムの再構築もできる。
杜甫は春望という詩で、戦によって荒廃した都を嘆いたが、ここは二の句を勝手に希望の言葉に替えて継ごう。

石巻の若き茅葺き職人は言った。
「葦ってほっておいても勝手に生えてくるんすよ。またそれを刈り取って屋根に葺く。朽ちてきたらはがして土に還す。ぐるぐる回ってる。そういう方が自然じゃないすか。」
僕らは大きなサイクルの中のひとつの切り替えの時期にいるだけなんだろう。

北上川は今日も滔々と流れる。

2011年6月13日月曜日

地方都市をバージョンアップさせること

もはや横浜よりも石巻にいるほうが長いです。

石巻が抱える問題は、日本の地方都市が抱える問題そのもの。
郊外にイオンがあって、中心市街地から人が減り、誰かが新しいことをやって街を変えてくれることを待ち望んでいる。

カリスマは現れないけれど、津波が先に来てしまった。

震災後の復興というのは、震災前の状態に「戻す」ことではなく、街がそもそも抱えていた課題を少しでもクリアして前に進むこと。
今はただひたすら目の前に現れる人や出来事にリアクションする毎日だけど、今やってることが街を変える力になるのだと信じて頑張ろうと思います。

しかし、ここだけ時間の流れが速いんじゃないかってくらいには濃密。

2011年5月16日月曜日

またまた石巻

いま石巻に10日間ほど滞在しています。

実は前回、ゴールデンウィークのときに陸前高田、気仙沼、石巻と二泊三日で来ていたんですが、ブログに書いてアップしたのにBlogger側の不具合なのか全部吹っ飛んでしまいました。
もう一回書くのはめんどうなのでかきません。

さて三回目の石巻です。
毎日いろんな人にあっています。
明日からは東工大から院生が三人来て、合宿状態です。
わりと若い人に囲まれてるけど、同世代はいないので楽しくやりたいです。

最初は「うわー被災地悲惨すぎる」と思うんですが、二回目で街の人達の復興のきざしが見えて希望をもち、三回目ともなると元々の石巻の構造とか面白い場所や建物が見えてきて、建築のプロジェクトとしても面白いフィールドだと思います。
そしていい人たちに当たってると思います。
石巻自体は戦後から大きくなった遠洋漁業の街だけど、そのなかでも頭の柔らかい人たちとチームが組めてます。ありがたいです。

どうせやるなら楽しくやりたい。
そのためにはスキームをねらなきゃいけないし、ロジックを組み立てなきゃいけない。
いろんな意味でアーキテクトを目指したいと思った一日でありました。

というわけでこの滞在中、時間があったらブログにも書きたいと思います。

2011年4月19日火曜日

働きはじめました

宮城県へ行ってきました。
連日ニュースでは被災地の映像は報道されていますが、横浜にいるとだんだんと震災のことを忘れ、あまりに自分たちの日常とかけ離れた光景にどこかよその国のことのように思ってしまいます。
けれども東京から車で六時間ほど高速道路を北上すれば、地震と津波の圧倒的な力で破壊された日本の街々が瓦礫とヘドロに埋もれています。すでに震災から一ヶ月経ったのにも関わらず、未だ遺体捜索がつづき、片付けなど手付かずの場所がたくさんありました。
自分の目で見るだけでなく、匂いや音や、雰囲気など行ってみて初めて体感するものに言葉がありませんでした。
元通りの復興など、いつになることか全く想像がつきません。

こんな大変な日本の状況の中ですが、この4月から働き始めました。
以前からお世話になっていた設計事務所オンデザインの西田さんと、震災復興にむけて建築家としてできることを考え、再び東北の人々が元通りの日常を送れるようにお手伝いすることになりました。
普通の就職とも少し違いますが、収入をもらってこの社会的課題に取り込むことができることは本当に縁に恵まれていることだと思います。
また、こういう動き方が自分らしいのかな、と。

これからどんなことが自分にできるのかわかりませんが、とにかく走りまわってみようと思います。
みなさま今後ともよろしくお願いします。